ユーコさん勝手におしゃべり

9月29日
 「なんか いいにおいがする」
と声がした。いつものように店のウィンドに背を向ける形で仕事をしていると、子どもの声が聞こえて、ふりむいた。お父さんと手をつないだ小さな男の子が店の前を歩いている。 
 「いいにおいがするね」
ともう一度言い、「あ、おかしのにおいだ!」とお父さんの方をみた。
 後ろ姿になっていく親子連れを見て、自然に顔がほころんだ。
 少し前、安さにつられて買ったまだ硬い洋梨8コを、店の2階で砂糖水にレモンとシナモンを入れてくつくつ煮ていた。換気扇から流れ出た甘いシナモンの香りに男の子は反応したのだろう。
 もう一度ふりむいた時、もう二人の姿は見えなかった。
 悲喜こもごもあった9月も、穏やかに終えることができると思える、何だかうれしいできごとだった。

9月17日
 店主はイベント好きである。「人間はじっとしていると腐る」と思っているらしい。
 昨日から「のり弁230円!」と弁当チェーンのコマーシャルがはじまると、さっそくのっかった。「明日はこれを買って、どこかでお弁当を食べよう」
 といっても休日ではない。行く先はご近所、堀切菖蒲園だ。10時にのり弁を購入して自転車で菖蒲園へ。シーズンオフで人気のない園内だが、小さな萩のトンネルがある。
 ピンクの蓮の咲く亀の池の前に、萩のトンネルはある。外から見るとただのボーボーだが、一歩中へ入ると、こもれびと花と葉しか見えない。この中では時間も世間も忘れる。
 すっかり気分をリセットして、お弁当をいただき、店に戻った。今年も向島百花園へ、萩のトンネルの親分を見に行こう。
 店主の発作的思いつきにいつも振り回されているようでいて、たいていそこに得るものがあり、結果よろこんでいる日常である。

9月9日
 玉すだれの純白の花をよく見かけるようになった。季節が動いてゆくのを感じる。
 8月の最後の日、店主が、
「今年は、誰も読書感想文用の文庫を買いに来なかったな。」 と言った。
そういえば、毎年夏休み中に何人かは、高校生かその母親が、漱石の「こころ」など買いに来るのだが、今年は一人も見かけなかった。以前は学生本人が来たものだが、この数年勤め帰りらしい母親が子供の使いでやってくることが増え、うすうす感じてはいたが、とうとう「読書感想文時代」の終わりが来たのか。出版社が、名作の装丁をリニューアルして成功をおさめていることが話題になっているが、どれ程持続性があるのだろうか。
 インターネットで「読書感想文」と検索すると、まっ先に課題図書が出てくるのかと思いきや、出てくるのは、コピーフリーの感想文のひな形ばかりだった。
 課題として出されることと、本を読むことは全く別のものだ。だから、夏休みに課題図書がないことも、感想文提出義務がないことにも問題はない。ひな形の作文に穴埋めをして、読んでもいない本の感想文を捏造する方が問題だ。イヤそれよりも、自分で本を読んだ上で、ひな型に穴埋めした感想文を提出する人がいるとしたら、それが一番かなしいことだ。ひな形をみて「これで良い」と思った時点で、少しはあったろう自分の思いは、ひな型の下に埋没してしまう。「ひな形」の方が、うまいことまとまっているはずだから。
 ひとつの季節が終わっても次の季節がやってくるように、ひとつの時代が終わっても、次の時代がやってくる。
 「読書感想文時代」は量産ひな形ソフトの登場で終了となろう。次にやってくるのが、感じない時代でなく、文にならなくても自分の感じたままの感想を肯定できる時代であるといいと思う。

9月4日
 私のティーンエイジの思い出は、演劇の中にある。中学高校大学と、その思い出の多くの部分は、部室や稽古場に埋まっている。明治大学劇研はにぎやかなところだった。入った時の先輩に柴田理恵さんたちがいて、同期の川村毅の演出で芝居をした。寺山修司氏がまだお元気な頃で、よく仲間と連れ立って天井桟敷の舞台を見に行ったりした。そして、劇研に深浦加奈子が入ってきた。加奈子は美しく、ハキハキした女性だった。「女の子」な感じの同年代の中にあって、「女性」の雰囲気がした。
 みんなよく笑っていた。まだ先をみても明るいばかりで、こぼれ落ちるほどの彼と我との才能のきらめきを、当たり前だと思っていた。若さを節約しようなんて考える余地もなかった。
 訃報は、突然やってきた。それも私の母と同じ病名で―。母は20年も前に同病にかかり、大きな手術をして身体は障害者となったが、心は頑健で、様々なことに挑戦している。唄って三味線を弾き、服を仕立て、着物のおしゃれを楽しんだ。最初の手術でガンは一掃されたが、その後も術後の不具合は起こり、8月の22日に都合4度目の手術に臨んだ。数日後、術後の回復に安心して、入院先への見舞から帰宅し開いた新聞に、かつての友人のその名前が、病名とともにあった。
 しばらくは、「?」の森に迷い込んだようだった。
 今できることは冥福を祈ることだけだろう。しかしまだ、どうやって冥福を祈ったらよいのかさえ思いつかないでいる。

9月2日
 今朝プランターに小さなバッタがいた。泰然と小さな葉に乗っていた。今日やることをひとつひとつこなしていけば、いつの間にか来春は来る。8月の終わりに「水仙やクロッカス、ムスカリの芽をみても、来春がやってくるのか不安になるような大雨続きの8月の終わりだ。」と書いた私を諭すように、ツーと細長い顔を天に向けていた。

   『古本屋五十年』『「悪い仲間」考』などの表紙絵を描いた青木有花が9月8日(月)-13日(土)まで銀座のギャラリーツープラスで、新作展示しています。機会がございましたら、お立ち寄りください。

8月のユーコさん勝手におしゃべり
それ以前の
「おしゃべり」