ユーコさん勝手におしゃべり

10月29日
 「そばが食べたい」となったら何としてもそばが食べたい。
 しかも、そばの質と量にはとびきりうるさい。店主の好物のNo.1は、日本そばの大もりだ。
 お昼に店主と南千住のお気に入りのそば屋に行った。開店早々でもちゃんと準備ができていて、蕎麦湯もキチンと風味が出ている。日曜日の11時とあって、客はまばらだ。いつも出前で忙しそうな店のご主人と少しお話した。
 「新そばは年に何度も入るけれど、秋の新そばが一番おいしいね」と、今食べているツヤツヤでおいしいそばに更に太鼓判だ。
 満足して、店に帰る時、店主が、「死ぬ前に、最後に何か一品好きなもの食べられるとしたら、やっぱりそばだな。」 と言う。
 「わかりました。忘れません。もし食べられない状態になってても、枕元に必ず、あそこのそばを置きますよ」 と答える。
 満腹で満足だった空気が、何だかしんみりしてしまったのだった。

10月28日
 もうすぐ二ヶ月一枚のカレンダーは、最後の一枚となる。
 奥日光の紅葉を見ると、今年の北関東への旅もおしまいだ。毎年10月20日前後が中禅寺湖畔の見頃なので、今年もそれに合わせて計画をたてた。24日、群馬の四万でゆったり温泉につかる。雨模様だったが、しっとりとそれもまた良しだ。山はいろいろな色をしている。夏に来た時は、「木々の連なり」だったけれど、一本一本が違う木だということがわかる赤や黄色や緑だ。
 一泊して、25日の朝、金精峠を通り奥日光湯元へ行く。絶景の紅葉を期待していたが、白樺は既に白い幹を残して葉を落としていた。湯元のビジターセンターでうかがうと、初秋の冷え込みで今年の紅葉は例年より早めに来たのだそうだ。そして鮮やかに始まった紅葉を、10月5日6日の大雨と強風が、一気にさらっていってしまったということだった。そして23日にもまた、大雨強風があった。
 そういえば、6日の嵐は、うちの店横のプランターの様相も夏から秋へ一気にかえたのだった。全体的には好天に恵まれた10月だったが、季節を変えるエポックメーキング的嵐が二度もあった。天候的にはめりはりのある一ヶ月だったということか。
 同じように巡っているようでも毎年少しずつ違う。何年生きても何十年生きても、いつも少しずつ違う季節に寄り添って生きれば、人生に退屈なんてありえないのだろうな。「つまんないな」と口に出して言う前に、気付かないのは自分の怠慢だと自戒して、もっと周りを観察しよう。

10月21日
 自転車でお使いに行く。
 普段は忘れていた銀杏並木のありかを、木が自分で教えてくれる。舗道に落ちた葉の形にアレと思って見上げると、たくさんの銀杏の葉が揺れていた。日々の作業を坦々とこなしている間にもカレンダーがすすんでいくように、季節も順調にすすんでいるんだな。
 先日、お客様から一通のメールをいただいた。
「日本梱包大賞のような大会があれば、青木書店さんはまちがいなく優勝ですね。
『多様な素材を駆使したお客さま本位の梱包の技は、他に類例がなく、ここに大賞を授与いたします』。」 とあった。
 身に余るおことば、ありがとうございました。励みにします。
 実はこのメールの少し前から、店主はカッター選びに腐心していたのだ。手作業をする人に道具は大切だ。はさみは定番があり、定期的に同型のものを入手しているが、カッターにはまだ絶対形がないらしく、いくつも買ってみている。最近はあちこちに大きくて何でもある(かに見える)ホームセンターができたけれど、漠然と何でもあるようにみえても、ピンポイントで自分にピッタリのものはなかなかみつからない。
 インターネットで本を探すのと同じようなもどかしさを、感じます。

10月14日
 先週の風雨が、かろうじて美を保っていた夏の花壇のいきおいを一気に終わらせた。その後乾いた秋晴れが続き、いよいよプランタ-の衣替えだ。先日種まきをして気を揉んでいたビオラも芽を出してきた。小さな双葉が二つ、三つ。店の横の道の端に新聞紙を敷いてプランターを下ろし、耕作開始。サフィニアたちにお礼を言ってパンジーの苗や春の球根と入れ替えた。
 それから数日たち、はじめは所在なげだった苗たちもすっかり周りとなじんできた。店の前の京成電鉄の土手の自生朝顔も花数がめっきり減って、一歩ずつ、秋が深まってゆく。

10月9日
 古本屋だから出合ってしまう本との出会いがある。
「○○初版」として集められた本の山から仕分けされ、手入れされる本がある。一方、そこからはずされる本も小山となる。初版と同年代だが2刷以降のものや、初版ながら状態が悪かったり書込みがあるもので、たいてい外の均一台に入っていく。
 開店時に毎回出し入れするので、いやおうなくそういった本と出合う。ずっと以前、昭和3年刊の漱石全集『吾輩は猫である』の巻は、奥付頁に達筆の鉛筆書きで
 「夏目さんはどうしてさいごに猫を殺したんだろう」と書いてあり、これを書いた昭和3年の青年にどうしても答えねばならない気持ちになり、猫を再読した。そして、先日また、次に読む本を決める出合いがあった。三浦朱門初版『バベルの塔』の見返に
「S.47.1.4 頭が悪いせいか、著者が何を言いたいのか、何故、バベルの塔と題したのか、終わったにもかかわらずいまだに解せない。」
と、青いボールペン字がある。この書込みのために200円のシールを貼られ均一台にのっている本を手にとったら、読まねばならない気になった。
 結局、同時代に読まねば答えは出ない本だった。「こまったおじさんだ。」これが、申し訳ないが主人公に対する私の感想だった。
 キング牧師が同時代人で、その暗殺が最新ニュースであった頃の話である。キング牧師が歴史上の人物だと思う年代のものには受け入れられない世界観があるのだろう。話の自然な流れの中に、「そんな時に、兄から手紙が来て、それに私が勤めている大学の不祥事を書いた新聞記事が同封してあって、『いよいよオタクの番』と赤い鉛筆で書いてあった。」というところがある。「あなた」という意味の「オタク」ということばの使い方にも時代を感じる。「教育ママ」とか「ザーマス婦人」と呼ばれる人たちを、私は身近に見たことはなかったが、子どもの頃に話題になっているのを聞いた記憶がある。そしてそういう人たちが、自分の夫のことを「宅の主人」と呼び、話し相手の奥様のことを「お宅」と言っているイメージがあった。中学生の頃、中学生の自分にとって一昔前のその「お宅」というひびきがおもしろくて、友達への呼びかけに使っていた。「おばさま語」への軽い揶揄のことばだったと思う。
 今はさらに語法が変わり、「オタク」は二人称から、普通名詞になった。
 『バベルの塔』の中心となるものは、バベルの塔というより、その時代背景だった。時を経て服装や景色、持ち物がかわっても、かわらず身につまされる話もあるし、その時代に共に読まねば時を逃してしまうものもある。読了後、本はまたそっと均一台に戻した。
 ありがとう、昭和47年の読書氏。あの書込みがなければきっと出合わなかった本を読む機会を与えてくれたことに感謝。

10月8日
 今年、中秋の名月を見損なった、とばかり思っていた。
十五夜は10月6日と発表されていて、6日の晩には向島百花園で月を見る会が開かれると新聞で見ていた。ところが、6日は嵐のような大雨で、月どころではなく、名月も残念でした、と思っていた。
 そして7日、昨日に続く強い風がすっかり雲をふきとばしている。夕刻、外の均一本を直していた店主が、「ちょっと来い!」と外からガラス越しに手招きする。何かトラブルでもあったのかと外に出て、指差す方向を見ると、何とまぁ、大きな大きな月。高架の線路と歩道橋の上に、うさぎをのせた盆のような月が出ていた。店にいる全員を呼んで、店の前の道路で月を見た。ここからだと電線が邪魔だからと、店主は歩道橋の上まで月を見に行った。
 今日調べてみたら、旧暦8月15日(中秋の名月の日)と実際の月齢とは少しずれていて、今年は7日が満月だった。がっかりのあとの、格別の美しさだった。

2006年9月のユーコさん勝手におしゃべり
2006年8月のユーコさん勝手におしゃべり
それ以前の
「おしゃべり」