『ユーコさん勝手におしゃべり』 バックナンバー目次

 

 

7月31日
7月が終わる。その月の最期の「ユーコさん勝手におしゃべり」に書かれた文字たちはちょっとかわいそうだな、と思って、自分で何度も見返す。このコーナーは一応月刊形式になっていて、一ヶ月ごとにアドレスが変わるから、最後の方の文は殆んど読まれていないだろうな、と思うからだ。今年の4月に、あんまり天気がいいので思いつきで始めたこのコーナーも、思いつきを書き続けて4ヶ月となった。また来月、新たな気持ちでお会いしましょう。明日から8月、いよいよ夏も後半戦だ。今年は梅雨明けが早かったので、もう随分長いこと夏をすごしている気がします。私の好きな春は、まだまだ、遠いな…。

7月29日
人様のお庭の草木を眺め楽しんで、目について考える。以前テレビを買い換えた時、新旧のテレビを二台並べて同じ番組を見たことがあったのだ。鮮やかな赤の衣装をつけた女性歌手の、その衣装の色が全然違って見えた。「赤」は「赤」なんだけど、ちょっとしたカラー調整の差でこんなにも違うのか、と驚いた。歌っている人の性格まで違って見え、ほんとはどっちに近い色の服を着ているのかしらと思った。その時、目もレンズとかついてるんだから、人によって違って見えてるんだろうと思いついた。だいたいが設置されている高さも違うしね。
 印象深い絵を描く人、世界の一部をさっと切り取ったような立体作品をつくる人の目をちょっと借りて、その目で周りを見てみたい。視力検査なんかじゃはかれない、なんか、決定的な差があるんじゃないかしら。サングラスを取り替えるように、お友だちと目の取り替えっこをして「へえぇ、あんたには世の中はこ〜んな風に見えてるんだぁ」なんて言い合う、そんな空想をしながら、葉っぱの重なりや、草の影を眺めていたのでした。

7月27日
ごぶさたしております。太平洋上にあらわれた台風の北上が、涼風を運んでくれて、やっと人心地つきました。6月の終わり頃からの猛暑が、気力も体力もズバズバ奪っていき、どうなってしまうのかと思いましたが、やはり自然の涼風が一番です。最高気温28度なんて、何日ぶりでしょう。おとといまでは、店内はクーラーがきいていても、一歩外に出ればサウナのような舗装道路で、口を開けて歩いている自分にふと気付いて慌てて口を閉めてみるなんてことが、幾度となくありました。鼻で呼吸してられないんですよね。知らないうちに口呼吸になっていて、舌こそ出していなかったけれど「これじゃ、犬だな」と思いました。「外へ出るのは命がけ」といった天候で、店舗のお客さんも激減でしたが、今日あたり少し戻ってくるかしら…。
 風がこんなにうれしいなんて、自然の恵みは太陽だけじゃないんだな。風にも雲にも、感謝。

7月22日
私は決断力がない。いきなり、そう気付かされた。「西瓜を買ってきて」と言われたのだ。スイカを、丸ごとひとつ買う―買物部門で最もその手腕を試されることだ。おずおずとスーパーへ行くが、スイカの顔は皆同じに見える。八百屋さんなら「どれが甘い?」と気軽に聞いておじさんにポンポンたたいて選んでもらえるが、スーパーでは「値段の違いは大きさだけ」とつれない。そうっとポンポンしてみるが、しょせん決め手がわからないのだから意味がない。しかもスイカはあたりはずれの最も大きい野菜といえる。うろうろしていても仕様がないので、とりあえず1280円のをひとつ買って、ドキドキしながら冷蔵庫へ。ああ、あたりが出るか、はずれが出るか…神様にお祈りする私であった。が、もちろん、神様はあまりにもささいなこんなことなど、かまっちゃくれないことは、わかっている。

7月20日
まだ、朝顔が咲かない。例年ならもう咲いているはずなのに、つぼみがふくらんでこないのでここ2・3日気になっていた。用があっていつもと違う道を自転車で走りながら、無意識のうちに目は朝顔の花を探している。あった。知らないお家のベランダに、紫の大輪の朝顔がいくつも咲いている。朝顔を見たら口の中に、甘さがひろがった、気がした。朝顔の蜜の味ー色水のにおいー。そういったものが、頭に浮かんだ。
 大人になってしまってから、朝顔は私にとって花を見るだけのものになっていた。ずっと忘れていた。律儀に毎朝花をつける朝顔で、小さい頃は随分遊ばせてもらったんだな。今年も、いつものように咲いていたら、私はいつものようにただ花を見るだけになっていただろう。寝坊が続いて、しおれた姿しか見なくてもたいして気にもかけなかったろう。例年より今年の成長が遅いことで、忘れていたものを思い出すことができた。花が咲いたら、今年はこっそり蜜を吸ってみようかな。色によって味は違うのかな。

7月17日
教科書問題が新聞で連日取上げられている。中学生が週に3回とか持ち歩く本だから大変な問題なんだろうけど、使った教科書がその人の人格に与える影響って言うのはどの程度のものなのだろうか。誰か調査しているのかな。話は変わって、中学生や高校生の部屋へ寄せてもらった時に、まっさらの教科書というのを、教科によらずよく見かける。「あ〜、その先生、教科書使わないからね」と言われる。中学生なら教科書は全て税金だし、高校生なら、この不況下に親が教科書代として2万も3万も払っているんだろうに、もったいない事だ。全単元プリントで授業するなら、教科書はクラスで数冊あればいいのにね。
 教科書といえば、高3の時、私の使っている世界史の教科書を見て「今年はそれなのか。去年までの方が採用校が多いから受験にいいよ」と言ってお下がりをくれた先輩がいた。私は2冊の教科書をゲットした。2冊を見比べて、両方に同じように書いてあることは重要、かたっぽしか書いてないことは非重要、微妙に記述が違ったり年代がずれてるとこは、確定してないから受験にはでない。と、勝手に決めていた。結果として、この方法、なかなか役にたったと思う。ひとつの教科書に出てるからっていって実は絶対ではない、ってことを学んだという意味では、その後の人格形成に関与してるかな。覚えた年号だの人名だの重要な事はきれいに忘れちゃったけれども。

7月16日
福岡の方からメールを頂く。「福岡の夏は暑いのは確かですが、東京の都心に比べればまだ過ごしやすいといえます。東京は人が多く、建物・冷房が多いせいか、まとわりつくような暑さに感じます。しかも最近の報道では体温に達しようかという暑さと聞いております。」
そのとおり!都会の夏は極めて不快。郊外に行ったときの「暑いけど、木陰に入れば涼しい」という感覚がうらやましいです。土がないのが1番の原因だと思います。アスファルトをなめて来る風は、まるで温風ヒーターです。この間も、買物帰りにうちで本を1冊買っていった老婦人が、「買物に出たけど、暑くて一気に家まで歩けないわ。パチンコ屋、喫茶店に続いてここで3件目。お金ばっかりかかっちゃう。」と言っていました。各所の冷房が戸外を熱くし、戸外の暑さが冷房を呼ぶという悪循環ー。どこで間違っちゃったんだろうな。

7月12日
ちょっと前までうちの均一は、普通の古本屋の均一だった。文庫とか新書のきれいだけど残らないものを100円200円で店頭に出すというものです。ところが、今はちょっと違う。見た目としては、売っているんじゃなくて本の虫干ししてるのかなっていう感じです。迫り来るデフレスパイラル(?)大手の新古書店に対抗して、いや、あえて対抗なんかしたくないという店主の表現でしょう(たぶん)。店頭の台には、”新古書チェーン店なら絶対に、捨てられてる”保障つきの本が並べられています。昭和24年刊日本文芸家協会編『昭和23年度版創作代表選集3』200円とか、大正9年刊吉田絃二郎著『人間苦』300円、昭和11年第180版芳賀剛太郎著『芳賀漢和新大辭典』300円といったもの。人の手を経てきて、そりゃーもう、ボロボロで、店内の書棚には入らないけれど、「読みたい人がこの世にまだ居るんじゃないの? ものの存在価値って何?」と主張しているような本たちです。必死に時代の流れに逆行しているのかもしれません。たまに買って行ってくださる方が居ると店主も驚くくらいですから。
 なお、もし上記の本にご興味のある方がおられても、お送りはできません。あくまで均一台の本は店頭販売のみです。壊れちゃうかもしれないから、ね。

7月8日
夏でよかった。今朝植木の水遣りをした。コンクリートの上に置かれ、暑さでまいっている彼らに水をかけ、地面から上向きについている水道の蛇口を閉めて、ホースを抜く。と、突然ビチャーッと水が吹き出てきた。あわてて水の飛んでいった先をみると、自転車に乗ったおじさまが店の前の道で通行止めをくらっている。「すいませーん」と必死で蛇口を回すが水の勢いはとまらず、アーチを描いて道路の向こう側まで飛んでいる。「すいませーん、蛇口逆にひねってましたぁ」と言い訳しながら、逆回転。ああ、何てこった、毎日やってることなのに、今日に限って…新しい服を着てるっていうのにー。「災難だな」とおじさまは言ったが、顔は怒っていなかった。よかった、夏でー。冬だったら、おじさまも私もつらかったろう。びちょびちょのスカートで立ち上がった。大丈夫、気温と体温で、すぐ乾いちゃうよ。我知らず、新しいスカートにうかれていたのかもしれない。

7月5日
サイフォンがわれた。内側に少しひびが入っているのには気付いていたけれど、まだ大丈夫、と思っていた。昨日いつものようにコーヒーを沸かし、上の段から下にコーヒーが落ちてゆくのを待っていたら、いきなり、ダーン!と音がして、カップ3杯分のコーヒーを満たしたままガラスの容器がテーブルに落ちた。きれいな切り口でコーヒーもこぼれなかった。「飲むのはどうかな」と思ったけれど、切り口がきれいだったし、何よりコーヒーが飲みたかったので、飲むことにした。一応そばにあった茶漉しにコーヒーを通して安全を確かめた。最後の最後までお仕事ご苦労様。引退最後のコーヒーはおいしかったよ。
 何年も使っている間、それがガラスだということを忘れていた。われた時あらためて、ガラスだったんだと気付いた。高校一年の時、初めてサイフォンを買った。あれから、いくつめのサイフォンだろう。随分昔のような、つい最近のような気がする15の私。

7月4日
脳天直撃の暑さです。まだ梅雨のはずなのに、東京は熱帯砂漠状態で、夏の植物のはずの朝顔さえグッタリ。そんな中、今日も元気に郵便局へ。窓口に並び、ふと脇の傘立てを見ると、紙袋とワイシャツと紺のズボンがポイっと乗せてある。「え?ワイシャツ?ズボン??」いかにも脱ぎ捨てられたといった格好の衣類ーしかしここは公共の場だぞ…と不思議に思っていたら、ATMの所にいたTシャツ姿のおじ様がそれらを小脇に抱えて出て行かれた。 ズボンははいていた。外出先であまりの暑さにワイシャツを脱いだのだろうか、でもズボンは…、買い換えたのかな? でも、涼しい郵便局内で脱いじゃうと、外はまた大変だろうな。と、要らない心配をしつつ、今日も楽しい葛飾堀切界隈なのでした。外回りのお仕事の人は夏は大変だろうな。ご自愛ください。

7月3日
昔、自分がまだその言葉の意味を知らない頃から、「うがった見方」という言い方をされた。何かことがあると反射的にその裏にあるものを見てしまう。誰かが何かを批判していると、批判された側の身になってしまう。そして「でも」とか「だって」が生まれてくる。素直じゃないことを素直に認め、態度を改めてみることにトライ。会話の相手が喋る事に対して頭の中では反射的にいつもの思考回路が動いてしまうが、自分を殺して、「そうだねぇ」と口に出す。その間、しばらく。相手は拍子抜けした顔で私を見、二人とも笑い出した。むこうはむこうで何か反発してくるだろうから、そしたらバシっと返してやろう、と思っていたらしい。 私も、自分の頭の中でわいたことばを殺して「そうだねぇ」というまで、奇妙な間のあったことがおかしかった。人には人の持ち分があり、素直にそれに従うのがいいかと思う。自分の将来を考えた時、みんなに囲まれたかわいいおばあちゃんより、ガンコなへんくつおばばの方が、似合ってるし、自分も気が楽だと思った。

7月1日
なぜ、白くなることはできないのだろう。人は無限の底力を持ち、知識を手に入れようと思えば、いくらでも身につけることができるのに、一度持ってしまった妬みや歪んだ気持ちを捨て去ることはできない。身についてしまった偏見を、見せないように隠す事はできても、なくして純白になることはできない。全て蓄積されていくんだ、リセットすることはできないんだと自分に言い聞かせて、日々を生きていくしかないんだろう。
 何をやっても間違っているように思えて、自分を脱ぎ捨てたい日。でも脱皮したところで中身は変わらないよ。

2001年6月のユーコさん勝手におしゃべり
2001年5月のユーコさん勝手におしゃべり
2001年4月のユーコさん勝手におしゃべり