ユーコさん勝手におしゃべり

9月20日
 一ヶ月早くやって来た夏は、一ヶ月長く居座り、9月も下旬になってようやく、朝晩涼風の訪れを感じるようになった。
 8月の終盤に頭の中にあらわれる「秋来ぬと 目にはさやかに見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる」が、今年は一度も浮かばぬまま、夏が延々と長引いている。
 ホームセンターや園芸店に行っても、まだ秋苗は並ばず、チューリップの球根だけが置いてある。夏の名残をひきずった花壇に、売り手も買い手も困惑の中、カレンダーだけが進んでゆく。
 先日、店に一組の母子が来店した。東北にお住いのお母様と、店の近所に住む娘さんで、店内をぐるりとご覧になって何冊か購入された。
 自宅に機織機があり、染織が趣味のお母様は、長らく図書館司書をされていて、いろんな分野に興味がある。 子どものときは機織機を貴重なものと思わず、アスレチック気分で遊具にしていたという娘さんも本好きに育った。
 帰りぎわ、お母様が思いついたように、「河井寛次郎はありますか」と言うので、書棚から「いのちの窓」を出した。
 本を手に取ってパラパラとページを開き、「あゝ、これよ。」 という。
 「私が司書になったきっかけにもなったことばなの。私の原点のことば。」 と指し示したところには、
 「この世は自分を探しに来たところ、
  この世は自分を見に来たところ。」
 とあった。うっすらとお母様の目がうるんでゆく。
 「いいことばですねぇ」 とひとしきり、店主と私とお客様二人で眺めた。
 思い立ったがハッキリ思い出せず、ちょっとモヤモヤしていたのがスッキリして、満足したお母様が帰り支度をする。
 本を閉じ、店番の机に戻したところで、娘さんが、「私、それ買います」 とおっしゃる。気を使ったのかと思い、「別に 大丈夫ですよ」 と言ったが、「私もじっくり見てみたいので。」 と手に取った。
 こうして、お母様の座右の銘は娘さんの家へ行った。
 「ありがとうございました。」 と二人を見送って、ほんのしばらく後、お母様が戻っていらした。
 「これ、秋田の新作のお米なんです。食べてみてください」 と「サキホコレ」のパックごはんをさし出す。
 「え、いいんですよ」 と言うと、「たくさん持ってきたので、ひとつですけど、どうぞ」 と勧める。
 「それと、これも」 とかばんから布を出す。
 「藍染なんですけど藍っぽくないでしょ。私が染めるとこうなるんですよ」
 紫陽花色のきれいなクッションカバーだった。
 「レースのところがちょっとほつれちゃってて、新幹線の中で直したんですけど、ほら、ここ」 とお直しのところを指し示す。よく見なければわからないほんの小さなキズだ。
 「あらここも。気付かなかったわ。あとで直してくださいね」 ともう一箇所指し示した。
 新幹線の中で、誰にともないお土産にせっせと針を入れている姿が思い浮かぶ。
 心に残るよいことばと、出会いのしるしを残して、ご婦人は帰っていく。
 そういえば、店に入って来た時、こんなことをおっしゃっていた。
 「春に娘とここを通った時、お花がきれいだったの。本屋さんだわと思って、お花のきれいな本屋さんはきっといい本屋さんに違いないから、次はきっと入ろうと決めてたんですよ。」
 これもうれしいおみやげのことばであった。
 
9月11日
 夜、寝室で本を読み、眠る。
 夢の中で読んだ本の続きを勝手に作っていることがある。明けごろにふと目が覚めて、
 「どうなるのだろうと思っていた結末がわかった!」 と思った。
 「まさかこんなに単純ではなかろうが、私の思った通りの展開になっていたりして…」 とほくそえみながら、もう一度寝た。
 朝、いつものように身支度をしていると、明け方の思いつきがよみがえって、一人赤面する。ぜんぜんつじつまが合っていないのだった。
 やっぱりちゃんと読まねばダメだなと、自分のあさはかさを反省する。
 でももし私の思ったストーリーがあたっていたとしても、私は楽しみに最後まで読み、余韻に浸りながらそっと本を閉じるだろう。そしてもう一度、最初のページを開き、出だしのシーンのおさらいをする。
 こんな時、「あらすじじゃ、だめなんだ。」 と思う。作家のつくる文章の流れや、人やもののとらえ方が、「おはなし」そのものだから。
 物質的に豊かになることをA、内面が豊かになることをB、とすると、
Aはいくらでも自分の中に入る。入れても入れても強欲になってゆく。
Bは、ふくらみ、自分の中からあふれ出てくる。ひとつの種が、手足や胸やいろんなところから生えてくる。
 だから作家は、同じテーマで何度も書きたくなるし、書かねばならなくなるのだろう。
 今日も店の中で、せっせと手を動かしながら、古い本を待っている人のことを考える。
 目の前に積み上げられた自分の力量では読み切れない多くの、イヤほとんどの本は、欲しい人の手に渡り、その人が消化してまた社会にアウトプットしてくれるはず、と。

9月1日
 秋はいきなりやってきた。
 ひたすら暑い昼間の熱気を帯びた家屋―。 店舗のある一階は冷房が効いていて涼しいが、店を閉め階段を上ると、のぼるごとに空気が熱い。
 「いやまさる暑さ…」と覚悟を決めて三階の部屋に入ると、スワっと風が通っていた。
 天気予報では記録的猛暑で、東京は29日連続熱帯夜になると言っていたが、北側からも風を感じる。寝室は南風が気持ちよく吹いて、いつもならすぐ手に取るクーラーのリモコンを手放した。
 8月の末に千葉県の銚子へ行った。車に乗って、梨園の続く松戸・市川を通り、定番の豊水と新種のナルミ、日持ちのよいカオリを買って車に積み込む。
 市街と梨園を抜けると、平らな地面に田圃が拡がる。たわわに実った黄色の田と初々しい穂をたてた緑の田のパッチワークが美しい。
 快調なドライブウェイを成田方面へ進むにつれ、田は黄金色になり、あちこちで稲刈りがはじまっていた。白いサギがあちらからもこちらからも集まってくる。稲の刈られた後の田は、ザリガニやタニシがむき出しになりエサの宝庫なのだろう。コンバインの通ったあとをついてゆくように、サギが活発に動いている。
 川辺でじっと身をひそめて魚の来るのを待っているイメージのサギに、はしゃいだ祝宴のシーズンがやってきた。
 千葉は広い。都市も農村も森林も海もある。そして海の北の端に突き出した銚子には高い山はない。
 空のひろいこと、ひろいこと。建物まみれの東京の下町に住み、いつも切り取られた空を見ている。時々荒川土手に出て空の広がりを感じているが、銚子の空は川土手の何十倍何百倍だろうか。
 東端の犬吠埼灯台のそばのホテルに宿を取り、窓から月を見る。ひたすらひろい海の上に左側の少し欠けた明るい月が浮かんだ。夕景もきれいだったこの海に、月も、そして明朝の日の出もやってくる。
 満月の日まで泊まっていられないのを惜しみつつ、東京へ戻った。
 そして昨晩、南風が気持ちよく吹く三階の窓から月を探した。天気予報ではもう空にあるはずだが、建物にさえぎられてまだ見えない。
 すっかり暗くなってビルの間から月があらわれた。ここからは刻々と移動するスーパームーンに照らされて、すべての灯りを消し、窓全開で月を楽しんだ。
 12時頃、月に薄雲がかかり、月の周りに丸く虹色の輪ができた。
 2時半頃、明るさをぐんと増してやがて西の空へ行き、窓枠から見えなくなった。
 日本中で、この満月を見ている人がいるだろう、と思う。みんな同じ月を、違う景色の中で見ている。
 ビルの間からようやっと顔を出し、家々の間をゆっくり西に向かい、建設中のビルのクレーンの上を通り、スカイツリーのてっぺんの色変わりのライトの上に浮かぶ月も、悪くないなと思う。
 それぞれの人に慣れ親しんだ空の形や星の見え方があるのだろう。8月の満月前後、大きな自然の中と区切られた小さな窓の中、二つの夜空を楽しんだ。
 みんな違って、みんないい。

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