ユーコさん勝手におしゃべり

3月29日
 朝起きると、重たい雨が降っている。みぞれに近かった。
 暖冬のまま春になり、桜も満開でツツジさえ花を開き始めたのに、「もう戻ってこないだろう」 と思っていた寒さが唐突に戻ってきた。ハンガーに かけっぱなしだったダウンコートに、も一度袖を通すことになり、ズボラの効用だと喜んだ。
 週に二日、曜日を決めて実家の父のところに通っている。
 母が亡くなって二年半になる。今まで、カレンダーは頭の中に当たり前にあった。その脳内カレンダーが、コロナウィルスが急速に広がってから 機能しなくなった。今日が何日で何曜日か、今朝も実際のカレンダーを目で確認した。
 当たり前にあったものが消え、買い物や日常のペースが乱されたのだ。
 散歩に行くと、土手にお正月のような光景がある。グランドのチームスポーツがなくなり、親子サッカー、親子キャッチボール、数人の円陣バレー、祖父母と孫たちの土手滑りや大なわとび。
 桜の公園も子ども会や老人会の集団宴席はなく、少人数でパラパラと遊んでいる。それさえも今週末から自粛になった。
 季節も暮らしも、不規則で不確定な日々だ。
 今朝家を出るときは小雨だったが、京成電車に10分揺られて、日暮里駅でJRに乗り換えるときには雪になっていた。大きな雪がボコボコ降っていて、ホームにいた何人かが雪の写真を撮っていた。
 京浜東北線はいつもよりずっとすいていて、向かいの席に座った人が、岩波文庫の『モンテ・クリスト伯(一)』を読んでいた。こんな機会に読んでおこうと思うのか、車内のほとんどの人がスマホをいじっている中で、紙の本を持つ人の数が、増えた気がする。
 私も読みかけの文庫本を取り出した。
 すいた電車からすいたバスに乗り継いで、横浜の実家で父の93歳の誕生日を静かに祝った。
 雪は昼過ぎまで降って、少し積もり、夕方には消えた。

3月8日
 ふわっとつぼみをふくらませた木蓮に続き、コブシも白い花を開き始めた。鮮やかな黄色のミモザは満開になった。
 いつも小学校の卒業式に合わせて咲く近隣の小学校の遅咲きの梅も、時期をたがえず今一分咲きだ。
 東京の桜の開花予想日まであと一週間、咲き急ぐ今年の桜をいさめるように、今日は冷たい雨が降っている。
 イベント自粛で今年各地の桜まつりは見送られるが、花はかまわず咲きいだす。
 まつりの会期と花の満開が合わないという心配もないので、一人ずつ、よしなに自分の桜まつりを催そう。

3月7日
 いつも2・3冊の本を併行して読んでいる。
 電車に乗る時のカバンに1冊、寝室に1冊、居室に1冊、読みかけが置いてある。読書はただの趣味なので、読むのは遅く選び方はランダムだ。
 おもしろくて目が進み、別の場所にも持ち込んで一気に読んでしまうものもある。逆になかなかページが進まず、中断忘却を経て、最初から読み返すものもある。
 読みだしたら、はじめはガマンでも、意地でもさいごまで読むことにしている。手に取った1冊との縁である。
 読みにくさを感じたり、なかなか共感できなくて、目の中で行間が低迷していた物語が、ある時急に流れ出すことがある。それまで全くの他人だった作者の波長や意図にのっかったのだ。
 「あ、おもしろい」と気付くのが最後の章だったりすることもある。そういう時はもう一度最初に戻る。最後のページまで行って、それでもダメなら、あとのまつりである。
 中断したものでも、面白いはずだったのに(だから買ったのだ)、評判良かったのに(だから尊敬されたり賞をとったりしているのだ)、と思えば、宿題として、今度読む本の積んであるあたりに置いておく。
 本が読み手を選ぶときは、選ばれるまで待つのである。
 たまに待ったかいがあって、古い本と新しい出会いがあると、自分の少しの成長が、ことのほかうれしい。

2月のユーコさん勝手におしゃべり
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