ユーコさん勝手におしゃべり

12月28日
 年の暮れに来て、あわただしく空気が冬になる。
 遅かった小庭のもみじの紅葉も、葉の端からチリチリと縮れてきて、終了を告げた。夕べの内にインターネットで盆栽の剪定の仕方を調べ、にわか仕込みで今朝、伸びすぎたところを刈りとった。春の芽吹きが楽しみだ。
 先週、今年のそばと温泉の旅のしめくくりに、栃木県粟野へ行った。そばを食べ湯に浸かり、温泉の休憩所で本を読んで眠り、目が覚めたらそばを食べ湯に浸かってあったまって帰る。今年も、この至福をありがとう。
 寒さが厳しくなると、冷たいそば旅はしばらくお休みだが、冬至が過ぎ、陽はまたすこしずつ長くなる。
 春への期待をたくさん詰め込んで、冬が往く。

12月19日
 亀眠る。
 今年は12月に入っても20度を越すような日がふっとやって来て、冬眠のタイミングがはかれずにいた。
 実は、だいぶ冬らしくなった11月の末日に、そろそろ動きの鈍くなった亀を一度冬眠水槽に入れたのだ。ふたをして、陽のあたらない園芸用具棚に収めた。例年ならそのまま春まで眠って過ごす、はずだった。
 ところが、今回、驚くことがおこった。外も暗くなり、7時の閉店時間が近くなった頃、店のウィンドウをコツコツとたたく人がいた。私はウィンドウに背を向けて座っているので、ふり向いてそちらを見ると、若い男の人が、
 「カメ。カメが、」 と言っている。
 何だろうと思って外へ出ると、その手に何と、うちの亀が抱えられていた。
 「道路の真ん中に、カメがいたもんだから、びっくりしちゃって。
お宅のカメだろうと思ったから。」 と言う。
 背中に、冬眠用の泥をこってりのせた亀は、まさしくうちの亀だ。
 「まぁ、申し訳ありません。どうもありがとうございます。」 と頭を下げると、男性は、
 「イャ、よかったです。」 と言って、道の先に止めてあるバイクに乗って、去って行った。
 呆然とした。いったいどうやって、どこに出たものだろうか。水槽を収めた棚は、私の背の高さほどの位置だ。腕を上に伸ばして、やっと収めた。
 フタは軽いプラスチック製だから、押し上げようとすればできるだろうが、そんな高いところから、足場もないのに、どうやって地面まで降りたものやら。しかもそこらの花壇の下に入り込むのではなく、道路まで出て行くとは―。
 何はともあれ、親切な方に見つけていただいて、幸いだった。そのまま逃走していたら、春まで気付かなかったかもしれない。
 まだ眠りたくなかった亀は、体を洗って店内に招き入れた。それから数日は、ボーっとしていると冬眠させられちゃうと思ったか、今まで以上に活発に動き回っていた。
 あれから半月たった。
 うちに一鉢だけある盆栽のもみじは、暖冬を象徴するように緑色だったが、今週になって急に色づき始め、週の半ばを過ぎて、いい色に染まった。店の壁に這い上がるジャスミンに来春用の花芽が生え出てきた。
 例年より10日ほど遅れて、昨日、いよいよ亀を冬眠させることにした。先日の反省を踏まえて、冬眠水槽は地面に降ろした。土と水をこねて泥にし、いろんな所で拾い集めた紅葉の落ち葉がたっぷり入っている。店の奥の流しの下で丸まっている亀を、そっと抱え、落ち葉のふとんをどけて泥の中に置く。「キュー」と鳴いた。落ち葉をかけると、また「キュー」という。
 プラスチックのフタの上に網をかけ、石を乗せた。
 そして今日、冷たい木枯らしが吹いた。亀はもう深く眠って、寒さも感じないことだろう。冬眠している間は、動物というより植物に近い。
 チューリップのつぼみがふくらむころ、また新鮮な気持ちで、再会するのが楽しみだ。

12月9日
 市川市の大町自然観察園の中にあるもみじ山は、山というより小さな丘である。でもその名の通り、全山がもみじでおおわれている。
 普段は立ち入ることができないもみじ山は、紅葉の時期だけ一般開放される。それが今度の日曜までだと新聞で知り、市川市大町まで出かけることにした。
 暖かく晴れた日が続いて、長く楽しめた秋も終盤になり、もみじは様々に色づいていた。
 春の桜はいっぺんに咲き、いっせいに散るが、秋のもみじは、まだ緑のものから黄色、赤色、真紅と、思い思いに季節を表す。木洩れ日越しに続くもみじの山を楽しみ、坂を下りて自然観察路を歩く。
 流しカワウソで有名になった動植物園から、周囲を梨園に囲まれた、細く長い長田谷津と呼ばれる地域一帯が大町自然観察園になっている。谷津と名の付くだけあって、長細い谷で、左右に小高い森が続いている。見上げると空があるだけで、ビルや道路は見えない。右の森から左の森へ、左から右へと野鳥が飛び交う。
 大きな青サギがゆったりと歩き、小川で獲物をとらえて飲み込んでいた。
 カメラを首から下げた紳士に店主が声をかけて、少し話をした。
 「じゃあ」 とあいさつをして、いったん別れたが、しばらくすると、
 「いいもの見せてあげるよ」 と追いかけてきた。
 「ムラサキツバメが越冬しているんだ」 という。
 「ここいらへんだがな」 と木々を眺め、「いた いた」 と、そっと指差す一枚の葉の上に、20羽ほどの小さな蝶が羽根をたたんでかたまっていた。
 もう一度名前を聞くと、
 「ムラサキツバメ。 羽をひらくと、紫色で、つばめの燕尾服みたいに2本しっぽがあるんだ。ムラサキシジミもいるよ。 たいていつがいで越冬しているけど、時々こんな風に集団でかたまっているのもいるのさ。」 と教えてくれた。
 「ムラサキツバメ。ムラサキシジミ。」と名前を頭の中にメモして、秘密の場所を教えてくれたおじさまにお礼を言った。
 また歩き出しながら、知っていることと知らないこと、について考える。知っていることは数えられるけれど、知らないことは数えられない。知らないことの膨大さに、圧倒される。
 蝶の越冬について、帰ったら調べてみよう。
 膨大な知らないことの山を、つまようじでほじくるようなものだけれど、ものの名前をひとつ知るたびに、少しずつ自分の世界が拡がる。
 よい出会いのあるよい半日旅だった。

12月3日
 師走に入り、冷たい雨が降った。寒気が来ていると天気予報がいう。
 週に一度の店舗休業日、上野の寄席へ出かけることにした。店主と二人分のおにぎりをこしらえて、お茶を用意して、ゆっくり前座からトリまで腰をすえるつもりである。
 次々出てくる落語家さんが、口々に
 「お足元のお悪い中を、ようこそおいで下さりました。
 どーせ、行くところがないから来たんでしょ。」
 とおっしゃる。
 その通りであった。寄席には年に何度か行くけれど、考えてみると、いつも師走から、睦月、如月のころである。
 たくさん笑って、体をゆすって笑って楽しんだはずなのに、終ってしまうと、カラリと後に尾を引かない。
 そこが落語の良さかなと思う。漫才だと、キャッチーなギャグが何日も耳に残り、頭の中でリピートする。口から出てくることもある。
 あれも良し、これもまた良し。
 冬の間にまた、笑いだめに行こう。

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