ユーコさん勝手におしゃべり

11月15日
 電車に乗った。
 吊革につかまって立っていると、私の前の席に座っている女の人が、文庫本を読んでいる。本を読む人の姿に、仲間だという感じがしてホッとしたのも束の間、本は終盤で、残りはあと数ページしかない。
 すると、目的の駅に着く前に読み終わっちゃうんじゃないだろうか、彼女は次の本もカバンに持ってきただろうか、と、心配になってきた。
 次の駅で近くの席が空き、私も座って自分の文庫本をひらき、すぐにそちらに没頭した。
 余計なお世話であるのだが、一日が過ぎ夜になっても、いまだに彼女のことが気にかかる。

11月12日
 夏を引きずり暖かかった秋が、実感を伴わないながらも 少しずつ深まってきた。
 自分の感性が鈍くなってきたせいなのか、今年の特殊な天候のせいなのか、いつも時期になると自然に頭に浮かんでくる「秋来ぬと 目にはさやかに見えねども…」のうたも、今年は感じなかった。
 紋切型の文章を否定する論評があるけれど、紋切型の気候の挨拶が使えない今年、紋切型も大切な指針なのだと思い至る。
 そんな11月中旬、我が家で一番季節を体感しているのはカメである。夕方、小庭から家に入れると、布団をかぶって(正確には布ものの間に潜り込んで)寝てしまう。放っておくとそのままじっと動かないのだが、昼近くに眠っているカメを起こして、
 「お仕事 行っといで」 と外に出す。
 というのも、飼い主の知らないうちに、カメには老若男女の知り合いができ、話し相手になっているようなのだ。昼間 店舗にいると、外からカメに話しかける声が聞こえる。
 「カメ、仕事してるみたいよ」 と小声で店主が言う。
 「あんたはいいわねぇ」 と、わけもなく おばあさんから うらやましがられたりしている。
 そして4時になると、店主が体を洗って拭き、家に入れる。そして寝床へ一目散である。カメはだんだん眠っている時間が長くなってきた。
 今朝、都立水元公園へ行った。目的は近隣で最も早く紅葉する公園駐車場のモミジバフウである。まだ紅葉は始まったばかりだったが、きれいな真紅の葉をビニールに一袋拾ってきた。
 これからひと月、各所で落ち葉を集め、カメの冬眠用の紅葉布団にする。常と変わらぬ季節の進みを、カメが教えてくれる。

11月1日
 先月の台風と豪雨の爪痕が、あちこちに残っている。
 北関東は紅葉シーズンに入ったが、所によっては広い公共駐車場の一角が災害ごみ置き場となって、静かに時を止めている。
 薄化粧をするように色づく山々と対照的に、川は土手のそこここで木の根が裏側を見せて倒れ、水底の見えない泥水を流していた。
 10月の26・27日に、日光鬼怒川方面へと出かけた。26日は雨の一日で、栃木の鹿沼へ、彫刻屋台の展示を見に出かけた。黒川の土手は、絆創膏を貼るように、ナンバリングされた土嚢を積み上げ、道路のアスファルトがめくれ上がったところには走行注意を促すポールが立てられていた。 それでも各施設は通常通りのおもてなしで、会館の方も屋台と祭りについて丁寧に解説してくださった。
 旅の初日は早めに宿に行き、露天風呂から鬼怒川を眺める。いつもの清流は見たことのない色と水量だった。一見平穏に戻ったかのように見える目の前の山から、まだ大量の土砂が流れ込んでいるのだろう。
 常と変わらぬ旅館の夕餉のごちそうの中に、川魚の姿だけがなかった。
 翌朝、日光いろは坂を上って中禅寺湖畔で紅葉を愛で、再び鹿沼へおりて久我でそばをいただいた。こちらも店は元気に営業されていたが、途中の川では橋の崩落個所が見られた。
 ともあれ、人々の努力により、傷は時とともに癒えていくだろう。
彫刻屋台を見に行った文化活動交流館で会館の方が、
 「鹿沼は昔から災害の少ない住みよいところだった」 とおっしゃっていたのが耳に残っている。その信念が、きっとすべてを元に戻す力になる。
 帰り道、道の駅で、地元の人の作った野菜を買った。夕刻、空に細い二日月が鮮やかだった。

10月のユーコさん勝手におしゃべり
それ以前の「おしゃべり」