ユーコさん勝手におしゃべり

5月23日
 雨が続いている。もう一週間になる。
 街路樹の根元くらいしか土がない駅前に住むつばめの巣は、今週に入ってから崩壊し始めた。田んぼの畔の様な粘土質の土なら、越年しても使える巣が作れるだろうに、駅舎のつばめの巣は、いつも ひなが育つころ壊れてしまう。
 水曜には欠けた巣からこぼれそうになりながら、まん丸なひなの顔が並んでいた。木曜に見た時には、巣は半分しかなかった。わずかに残った巣の土台に二羽がいて、飛べるようになった二羽は、巣のそばのわずかな止まり木につかまって「チュピ」「チュピ」と鳴いていた。止まり木と言っても、以前 誰かが針金ハンガーで作った人工物である。
 雨は続いていたが、駅ガードは大きな傘となり、濡れる心配はない。
 金曜日、巣は完全に落ちてしまった。昼間はつばめの姿も見えなかった。みんな飛べるようになったらしい。
 今日土曜日の早朝、巣の様子を見に行った。巣は朽ちていたが、みな そこを我が家と思っているようで、同じ場所に集まって、鳴き交わしていた。もう どれが親で どれがひなだか見分けがつかない。巣立ちは近い。
 午後には、また、明るい初夏の日差しが戻ってくるだろう。

5月13日
 本の包みを抱えて郵便局へ行く。
 駅前で信号待ちをする間、つばめの巣を見上げる。巣の上辺から 小さく黒い丸顔に白真一文字のくちばしが見え隠れする。ひしめくひなは、5・6羽いるようだ。
 店に戻ると、小庭の飼いカメは黙って日向ぼっこしている。数日前まで食欲旺盛だったカメは、おとといからふっつり、エサを食べなくなった。
 つわり、らしい。お尻をのぞくと、卵の形が甲羅からはみ出ているのがわかる。ただ排出するだけの無精卵だが、卵が出てしまうまで、お腹いっぱいが続くのだ。
 人は立ち止まっていても、季節は進む。
 先日、いつも通らない道を自転車で走ってみた。大きなクスノキに白い花がたくさんついている。さわやかないい匂いがした。
 風薫る五月、少し走ればどこかしらの庭からバラの香りがただよってくる。
 庭の隅に打ち捨てられたような鉢から、ドカンと大輪のアマリリスが咲いている。遠目にも鮮やかな朱色の花は、子どもが色鉛筆で描き塗ったような造形をしている。見かけるたびに♪アマリリス♪のうたを、うたいたくなる。
 自粛生活で、一日のうちにほんのわずかの外出だが、目はいろいろなものをとらえてくる。
 山へ行けない五月に山の景色と植物を思い出す。
 去年の秋、奥日光湯ノ湖畔の散歩で、ムシカリの赤い実と出会った。
 「あ、これがムシカリか」
 虫が好むのでムシカリ。確かに虫食い穴だらけだった。虫に食われていないきれいな葉はちりめんのようで、花はガクアジサイに似ている。
 ムシカリは本の中で名前だけを知っていた植物だ。本を読んだとき、気になって、あとで調べようと思ったまま、時がたった。頭の隅にあったものが、前後の描写とともによみがえり、文字列が実体をもって立ち現れる。
 「これが○○だ」 と気付いた花や鳥の名は、あとで調べるといつもほぼ合っている。
 特徴を入れただけで瞬時にわかるインターネットは便利だけれど、瞬時にわかり、瞬時に忘れる。
 作家が本の中に景色ごとそのまま封じ込めたような描写が、自分が見た風景によって現実に復元されると、名前は実体を伴って長く心に残る。
 これが読書の効用だ。
 その植物が好きな複数の作家が書いた植物図鑑が見てみたい。あの人と、この人と、と、頭の中で勝手に人選していると、挿画家も浮かび、写真家も厳選で…、と時のたつのを忘れて夢想する。
 山へ行けない五月、道端のハルジョウンの群生や、舗道の割れ目に咲くまだ名前を知らない小さな花が、前よりずっと近しくなった。

5月9日
 5月7日は満月だった。
 一人暮らしの老父のところへ行った帰りにバスに乗った。川沿いの道路を走っていたバスが大きく左折して橋を渡る時、黒かったバスの窓いっぱいに、大きくてまん丸な月が見えた。
 ガラス越しの美しい月に しばしみとれた。
 バスが駅についても、駅前のキラキラ感はなく、街は夥しい静けさだ。駅前ホテルのレストランさえ灯りをおとし、タクシーターミナルにしんと動かぬ客待ちの車列ができていた。
 4月のはじめに父と歯医者に行った。すでに歯科は検診などはストップしていたが、治療のため通院していたのだ。その時、急ごしらえで処置をして、治療を終了した。
 その歯がまた痛み出し、歯科に電話をして予約を入れた。待合室に人が重ならないようにする為、医院側の手配もたいへんなようだった。
 歯の土台が割れ、欠けた歯片が痛みの原因と分かり、除いてもらった。歯の根はしっかりしていて、今抜歯することはできないので、とりあえずまた通院することになった。丈夫がとりえだった歯も、93歳となると加齢には勝てず、経年変化を受け入れざるをえない。
 父の通院のお供は、今までは何でもない日常だったが、コロナ騒動で一変した。今医者へ行くことへのためらいが、第一番にある。今回の歯科も、いよいよ食事に支障をきたすというところまで、市販の痛み止めを友として我慢してきた末の決断だった。
 医者へ通うということを、こんなに迷うなんて、思いもかけないことだった。
 タクシーを使って老親と行く通院を、「いつまで続くんだろ」と思っていたが、それはありがたいことだったんだなと反省する。ともあれ、痛みの原因がわかり薬ももらえてほっとした。
 先日、新型コロナウイルスによる緊急事態宣言が延長された。予想していたこととはいえ、予想以上にがっかりする自分に、我ながら驚いた。
 それが何故だかわからなかったが、父の歯痛であきらかになった。
 いつも親切でほがらかな歯科の人々がビニール防護に身を固め、親切ながらムダな会話はせず、予防のため増えた仕事を着々とこなしている。見ているしかないが、切ないことだ。こうした切ない光景が周囲にあふれていることが、見ているしかない自分を気落ちさせるのだ。
 忘れないようにしよう。 「ありがとう」と声を出して言おう。

5月2日
 五月晴れ!
 天候不順でけっこう寒かった4月をけちらすように、カーンと5月はやって来た。
 朝、堀切菖蒲園へ散歩に出ると、入口近くの菖蒲田にひとつだけ花がついていた。近づいて見ると、「一番花開花」の立て札があり、日付は「5月2日」だった。
 名前は「はつしも」、「江戸古花 堀切」と書いてあるので、今年はご当地産の花が一番花になったわけだ。純白の楚々とした風情が、開花初日に見られて好運だった。他にも、道ゆく草木の成長に目を楽しませている。
 昨年長いこと懸案だった店の外壁塗装をすることが決まり、昨秋から小庭の植え替えをしていない。2階までラティス伝いに伸びたつる植物を全てはずさないと塗装工事ができないので、少しずつ刈り取って、今春はジャスミンの芳香もない。コロナ騒動でちょっと工事開始が伸びて、小庭の片付けも今は中途半端な感じになっている。
 日が伸びて、例年なら毎日花摘みに追われているところだが、今年はお休みである。
 そのかわり、台所で、にんじんの葉が育っている。
 3月頃、食材を切っているとき、にんじんの頭をプチトマトの入っていたプラスチック容器に少しの水とともに入れた。窓辺に置くと、芽が伸びる。
 小さな島のように見えたので、プレイモビルの人形を座らせてみると、そこに星の王子様がいるみたいで楽しくなった。葉が伸びるとつまんでサラダに乗せたりスープに浮かべたりする。
 気付くと少しづつ増えて窓辺にプラ容器が3つ並んでいる。水菜や大根が仲間に入ることもあり、今や星の王子様も大忙しである。
 
 3月と5月のにんじん島の様子です。

4月のユーコさん勝手におしゃべり
それ以前の「おしゃべり」