ユーコさん勝手におしゃべり

10月30日
 「そんな変色した文庫読んでる人いないから」と、突然店主に言われた。
 先日ショッピングセンターに買い物をしに行った時のことだ。店主と私は見る店が違うので、ソファーのある通路を待ち合わせ場所に決め解散した。私の方が早く買い物が終り、ソファーに座って持ってきた読みかけの本を読んでいた。そして、冒頭の言葉だ。
 店主が来たのに気付かなかった私は、背後から急に声をかけられたのでびっくりした。そして、公共の場でイスに座って本を読む人はたくさんいて、自分も同じその中の一人だとばかり思っていたので、店主の指摘に驚いた。私にとっては小口の焼けた文庫本は日常品だったが、考えてみれば私の手にとる本はたいてい今はもう版を重ねていない。当たり前だと思っていたことは、この場では当たり前じゃなかったのだった。
 数日後、美容院に行き若い美容師さんと会話した。私はその読みかけの文庫本を携えていて、本の話が出た時「話が通じないんじゃないか」と思って妙にドキドキしてしまった。話題がすぐ映画に移って、一息ついた。

10月29日
 国会で偉い人が言い訳をするのを聞いた。証人喚問という会で、出ているのは、頭のいい人だ。国家が国費を費やしてよく勉学に励む者を育成する国立大学を卒業している。
 その人が、「どうも私、かわいいだけがとりえでゴメンネ」とクイズを間違えて舌を出すアイドルのような答弁をしている。記憶が苦手で知識が浅いけど、無垢で純心だから許してね、って、その年齢でその地位で今更言われても困る。
 証人喚問の放送が終わった後、その方の人となりを紹介するニュースの中で、彼の出身地が映り、ご近所の方が「頭がいいので有名だったよ」と語っていた。
 たいへん皮肉に聞えた。

10月18日
 江戸東京博物館に漱石展を見に行く。既に見てきた人が一様に良かったというので、期待していた。期待にたがわず、観覧時間一時間半の予定で入ったがそれでは時間が足りないくらいだった。寺田寅彦や中勘助を通じて漱石と出合った私にとって、漱石は作家というより先生のイメージが強い。よき師の面影を再び強くして、帰宅後中勘助随筆集の「夏目先生と私」をひらいた。
 漱石展を見る時間を一時間半と区切ったのは、その後ランチにカレー屋さんを予約していたからだ。墨田区へ行ったらここでお昼と決めている。ランチタイムはたいへん手頃な価格のセットメニューでもてなしてくれる。少し路地に入ったお店で、ゆったり席をとってあるので座席数は少ないが、並ばずに食べられるように電話で予約を受けてくださる。カレーもデザートも手をかけた日替わりで美味の人気店だ。もうすぐ近くに新東京タワーができるので、急に再開発されて必要以上に人に知られやしないかとハラハラしている。自分の目の届く範囲で、しっかり仕事をしているお店をぜひ守ってほしいから。
 「明日は、漱石展に行ってお昼はカレー屋さんへ」と決めた時から、心に浮かんだ今日のキーワードは
 「希望を持って 野望を持たず」 だった。
 最近、お気に入りだったラーメン屋さんが好評につき支店を持った。忙しくなった店長さんは、直々につくってくれることがなくなった。麺をゆでる時間もゆで方も従業員にしっかり伝えてあるはずだ。チェックもしているのだろう。でも違う。どうして同じ麺、同じスープなのにこんなに違ってしまうのか不思議だが、確かに違っている。それは作るものに対する愛情としかいいようのない、些細で貴重なエッセンスだ。
 成功したのに拡大しないことは難しい。拡大の魅力に抗することも、拡大しなくても自分の立ち位置で満足することも困難だ。
 でも野望をもってそれがうまくいくことは確立の薄いことだと、今年いくつかおこった食品の偽装事件が教えてくれた。
 「忙しいは心を亡くす」  どんなに追いまくられても、心に少し余裕を持っていきたい。余裕を持った姿を想像して心を遊ばせるだけでもいい。
 「希望を持って 野望を持たず」
漱石先生とその周囲の方たちに、そしておいしいカレー屋さんへの私の心の中での献辞です。

10月15日
 そろそろ紅葉の便りが聞えてきた。朝晩ぐっと涼しくなれば、身軽な森林浴ができるのもあとわずかだ。今年最後の緑の山々を楽しまんと千葉鴨川の大山千枚田へ出かけた。刈り取りの終った棚田のあぜ道に色あざやかなコスモスがゆれていた。
 夏が終り、秋を待つ養老渓谷へも足を伸ばす。オンシーズンの喧騒がうそのような静かな流れと木々の連なりに、風景を堪能した。
 そして昨日、見るべき目玉がない時の美しさに味をしめて、店主とご近所堀切菖蒲園に行った。萩の時期も終り人気もない園に入る。するとすぐに店主が、「桜が咲いてる」 と言う。冬桜の咲きはじめの数輪が桃色と白の花を開いていた。冬桜の根本には、むらさきつゆくさが咲いている。夏から秋へ、今限定のツーショットだ。帰り道、ふと目に入った民家の窓際で、おじいさんとネコが一緒に毛布をかけて横になって庭先を眺めていた。
 何だかとても、うれしくなった。
 それから今朝、もう刈り込もうかなと手を伸ばした夏花の枝先に赤とんぼがとまっていた。「今日じゃなくても、まぁいいや」と自分の手に言い訳をして、赤とんぼを驚かさないようにそっと家に入った。
 見るべきものが何もないなんて、そんな時はないんだな。お日様は毎日動いて、日ざしは毎日かわっているのだから。

10月10日
 ご近所の、もう何年も空き家になっている家からキンモクセイがよい香りを漂わせている。主がない大木は律義に毎年芳香をわけてくれる。借景でなく借香だなと鼻腔いっぱいにいただく。
 一方、数日前秋の花壇に入れ替えて成長を楽しみにしていたうちのプランターからは、一株ポコッと苗が抜かれていた。三列並びの端っこ一つだけが穴になったプランターを寂しいなと思うと同時に、盗っていった人も淋しい人なんだろうと思う。
 考えると悔しくなっちゃうから深くは追わない。こういった日々の出来事や、かわしたことばのひとつひとつは、自分が将来にわたってどんな人になりたくて、どんな人になりたくないかの見本をみせてくれているのだ、と思うことにしている。

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