ユーコさん勝手におしゃべり

7月21日
 読めるけれど書けない字、というのは結構ある。魚偏の魚の名前とか、木偏のつく樹木の名前などに多い。本を読んでいてフトつきあたった漢字がその種のもので、しかも「読めない」となると手が止まる。もともと初見の文字だったら、本文に関係なかったら流すし、後で調べようと思って先へ行くこともできる。でも、「知ってる、見たことある。読めるはずだ」と思うと、上あごにひっかかった海苔のように気になって、その時たまたま読めないことが情けなくなる。
 今日読み始めた本の出だし2頁目にそういう文字があり、心をそこに残したまま、さらに3頁読み進めると再びその文字にあたった。そしてその時はすんなり読めてしまったのだ。読めて当然なのだが、さっき読めなかった悔しさがよみがえり、本の頁を閉じた。
 興味を持って読みだした本だが、邪魔が入った。まだ5頁目で話は何も始まっていないけれど、コーヒーブレイクにしよう。

7月15日
 今まで当たり前と思っていたことをほめられると、はじめびっくりして、やがてうれしくなる。先日そんな体験をした。たまたま目にしたインターネットのサイトにうちの店のことが書いてあり、
「…青木書店では、一冊一冊に手が入っていることが、しっかり感じられました。品揃えが、明らかに選ばれていることを感じさせてくれるものでした。もちろん、リサイクル書店と比較しては失礼なのを承知の上で言わせてもらえば、神保町の古書店とも違う、温かさ、本を大切にしていることを感じさせてくれる本棚でした。…」 とあった。
 店の本は、外の均一の本も含めてすべて、店主の手と目を通っている。たまに「これみんな読んだんですか?」 と聞かれる方がいるが、そんなことはありえない。でも、必ず一冊ずつ手にとって中身や装丁を見ている。あるものは手入れをされ分類されて書棚に収まり、あるものはそのまま値札を貼られて外の台に置かれる。
 それを当たり前の仕事だと思っていたが、自分たちの知らないところで評価してくださった方がいたことに驚き、気付かせていただいたことに感謝した。
 昨日今日は異様に暑かった。高温多湿は紙魚のもとだから、炎天下の中、無人の書庫にクーラーをつけに行く。どなたか知らないけれど励みを下さったお客様のためにも、クーラーのタイマーをかけて本を護る。

7月8日
 夏の花壇が本格稼働しはじめて、終った花を摘んだり、虫くいの葉を取ったり、また忙しくなってきた。
 私が、買い物や所用で街を通る時、楽しみにしているお庭があるように、ここを通る時「何が咲いているかな」と見てくれる方もいるかしらと思うと、うれしく、手を抜けない。
 以前テレビの企画で、各地でスタッフがわざところび、手にした荷物の中身をまいてしまったら周りの人たちはどう反応するかというのがあった。その時はりんごが使われていた。案の定、都会では無反応の人が多く、郊外ではみんな拾ってくれていた。今日たまたま堀切菖蒲園駅前の信号を渡っていたら、前にいた自転車のご婦人の後ろ荷台に乗せてあったじゃがいもの箱が落ちておいもがころがってしまった。「あっ」と思うと、道を渡っていたほぼ全員がしゃがんでいもを拾い、箱に入れはじめた。私も幾つか拾い、箱から一緒に落ちたスイカの入ったスーパーの袋も拾ってじゃがいもの箱に入れ荷台に乗せた。信号がかわる間際に何とか作業は終り、おば様はお礼を言って野菜満載の自転車をひいて帰った。
 当たり前の光景だけれど、なかなか当たり前が当たり前に作動しないことも多いこの頃だから、街に誇りがもてたようでうれしかった。ひびが入っちゃったらしく、スイカから少し汁が出てしまっていたのは、残念だったけれど。

7月2日
 「古本屋は、『いらっしゃいませ』とは言わないもんだ。」
 と教えられたのは、もう何年も前だ。
 古本屋には、あるものはあるがないものはない。同じ本は1冊ずつしかない。同じ書名でも状態を見れば少しずつ違う。そういうもんだ。だから入ってきた客が、買うものがなくても出て行くとき気づまりにならないように、他の商売のように笑顔で「いらっしゃいませ」なんて言わないんだ。という主旨だった。
 基本的に本の集め方も店主のセレクトショップ的で、お客様のニーズに合わせて、という網羅型ではない。それは、今でも変らず、古本屋の店主は愛想が悪いといわれる要因になっているのだろう。
 うちでも、いつも来てくださるお客様には、「こんにちは」と道であった時と同じように挨拶はするが、ことさら「いらっしゃませ」という声かけはしない。それでも、店舗をやっているからには、それなりのふれあいはあり、そのちょっとした会話がとてもうれしかったりすることもある。
 先日のこと、本を買ったお客様がお会計の時
 「細かいので出してもいい? 重くて」 と言う。
 「もちろん大丈夫ですよ、すぐたまっちゃいますもんね」 と答えると
 「細かくても、天下通用のお足だからね。」
と、ちょっとしゃがれた声で言う。そのテンポが、いい。いかにも下町のおじちゃんだ。
 下町に住んでいるから下町のおじちゃんになれるわけではない。明文化されない定義がある。例えば、職業に関わらず自分の仕組みの知ったことを生業として選び、いつも地に足がついたところにいる。それでいて、ふとした瞬間にスッと手が伸びて、以外に遠くにあるものにも手が届いてしまう。それを「当たり前」と言い切る町工場のおじちゃん、そんな底力を感じるしゃがれ声だ。最近は、声やテンポからそんなパワーを感じることが少なくなった。久々に聞けて、その日はとても幸せだった。

7月1日
 「7月の声をきいた」
 そう思ったのは、今朝自転車で買い物に行く途中、民家の庭に白いムクゲの花が咲いているのを見たとき。夏の花と共に、夏が来るのを実感した。
 春の名残りで、パンジーは毎日たくさんの花を咲かせてくれているが、一時の勢いはもうない。次の雨が過ぎたら、各家の軒先のプランターもすっかり夏姿になるのだろう。

2006年6月のユーコさん勝手におしゃべり
2006年5月のユーコさん勝手におしゃべり
それ以前の
「おしゃべり」