『ユーコさん勝手におしゃべり』 バックナンバー目次

9月24日
今まで「暑い」と思っていた日差しを、「あったかい」と感じるようになり、いよいよ春の準備が始まる。朝顔の勢いも衰え、頭の中は「来年は何色のチューリップにしようか」ということでいっぱいだ。
 今、店の脇の道路が工事中で、プランター類は皆避難中だが、工事が終わったら、球根を植えよう。土に埋もれて、雪をあびたり霜で凍えたりしながら春を待ち、芽を出し、春を告げてくれるだろう。考えるだけでワクワクする。

9月22日
「あ、歌ってる」 最近気付いた自分の癖である。ストレスがたまってくると口の中で小さくうたっている。うたう歌は決まっていない。 注意を受けた時、自分のミスを直しながら口の中で、状況によっては頭の中でうたっている。「自分はメゲてないよ、気にしてないよ」と自分に対して虚勢をはっているのだろうか。きっと今までも無意識のうちにやっていたのだろうが、気付いてしまうと気になるもので、「あ、また歌ってる」と、自分を観察する別の自分が、それに同情したり皮肉に笑ったりしている。
 無意識のうちに選曲をする脳の仕組みの不思議さよ。

9月15日
世の中というのは、複雑で難しい、はずだったんじゃないだろうか。
 いい者と悪者がはっきりわかる勧善懲悪のドラマはわかり易くて、4・5歳の子供を熱狂させる力を持っているが、現実は、たとえ自分が何とかマンになったところで解決できるものではないことを、成長のなかで子供は徐々に知ってゆく。いいと悪いは複雑な多角形をした人の心のある一面と別の一面にすぎない。
 怒涛の如く一つの意見にぬりこめられていくと、それを疑う人は屁理屈たれと片付けられてしまう気がする。世の中が恐ろしいことにならないようにいのる。

9月10日
「数学をやりたい」という衝動に駆られる。「楽器ができたらいいなぁ」とか「絵が上手にかけたらなぁ」と思うのと、同じレベルで数式を書き連ねてノートを埋めてみたいと思うのだ。しかし、思うだけの憧れである、今のところは。
 ぼうっとした子供だったので、算数は苦手だった。先生の言う事でわからないことはなかったと記憶しているが、面倒なことは嫌いだった。3978のなかに786がいくつ入るかなんて、今考えるだけでも苦痛になる。中学に入って算数がなくなってうれしかった。数学は面白かった。XやYの文字をあっちへ回したり、こっちへ移したりする。考え方を見せるだけで、面倒な計算をしなくてよかった。図形の証明も答えには至らなくても、公然と時間をかけて理屈をこねているのが楽しかった。しかし、その蜜月も中学で終わった。高校の数学は、もう記憶にない。まっくら闇の森の中だ。今になって考えてみると、理系だ文系だと人をぴっちり分けるのは不思議な話だと思うのだが、高校という場にいる時は、自分が数学や理科がわからないことに何の疑問も持たなかった。「わからなくてもいい、文系だから」「一生やることのないものだ」と思っていた。
 学校という場を離れてから、長い長い年月が経った。一通りの学習を終えて、改めて眺めてみると、与えられた学齢の時にはむずかしくてわからなかったことが、今ならわかる、ということがある。それは、自分の専攻した一つの教科に限らず、理科にも数学にも英語にも国語にもある。
 そして、数学だ。英会話教室なるものは、街のあちこちにあり、通信教育も充実しているけれど、数学ってないよね。あっても、子供向け、あるいは、目的(受験)のための手段としての教室ばかりだ。数式を連ねてノートの上で理屈をこねてみたいと思うけれど、かなわず、仕方なしに中学生用の問題集から文章題を拾って、何題か解いてみた。それでも、けっこう、満足した。解いている間は何も考えない時間がもてる、ということが、脳みそのリフレッシュになるようだ。間違えても何の実害もないというところも、魅力である。人から点数をつけられない、という大人の特権を、こんなところで活用できるとは思わなかった。

9月8日
「スキのない本屋はつまらないんだ」 ドアから出て行くお客様の背中を見送って、店主が言う。私に話しかけているが、半分は自分に言っている。再販制があり、本棚の管理が仕事の新刊屋さんと違って、古本屋は自分で値をつける。現金買取された本たちは、言ってみれば全部自分のもんだから、自分で値をつけ、棚にさす。その時点で自分は納得しているはずだ、が、本の多くは分類され棚に収まるとそのまま眠りにつく。そして10年―、なんてこともよくあり、お客さんが「この本捜してたんです」などと言いつつ店番台に持ってきた本についてた値をみて、店主どっきり、となる。
 「スキのない本屋はつまらない。お客様が、時に掘り出し物を見つけてホクホクするような店でないと、だめだからね…」と自分を納得させつつ、棚を見に行く。店主が自分の店で掘り出し物を見つけるなんてことも、たまにはある。

9月5日
秋晴れ。朝窓を開けたら、絵に書いたような秋晴れだった。こんな日に子どもができたら、名前は「秋子」か「秋生」だな。と、ありえないことを思いつく。でも、それはありえないから、こんな日に犬を拾ったら、にするか―。それもありえないから、こんな日にハムスターをもらったら、にするか―。ああ、だめだ。秋の美しさに耐えかねて、静かに琴が鳴りいだすようなこんな日は、妄想はやめて、開店前のひととき、自転車で土手に行って、深呼吸をしてこよう。


2001年8月のユーコさん勝手におしゃべり
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