『ユーコさん勝手におしゃべり』 バックナンバー目次

1月30日
 先日、ふっと暖かい日があって、意気揚々と春の花壇作りをした。足元で芽を出していたチューリップたちをひな壇に上げ、その前に笑うように揺れるパンジーたちを並べた。ジャスミンの苗を新たに植え、満足感でいっぱいになった。
 そして中一日あけて今日、「春の前ぶれかと思われたあの陽光はいったい何だったのか」と思うような底冷え。あらゆるプランターには霜柱が立ち、水やり用のバケツの水は凍っている。
「まぁ わかってたことだ。何せこれから2月になるんだからね」と言いつつ、軍手をして霜柱をつぶす。
 店に入ってパソコンを開けると、お客様の注文書のコメント欄に「仙台は雪です」と書いてある。 あら、きっとこの方は「勝手におしゃべり」を読んでくれているのだわ、とほっこりあったかい気持ちになる。東北の天気予報を気にしつつ、窓辺の花瓶にパンジーを挿して春を待つ。

1月23日
 「一生」は、どうやら自分が思っているよりも短いらしい。ここ1ヶ月ほどの発見だ。今当店の店外ワゴンの中には、古書好きのお客さんが「エ、これ均一?」と立ち止まってしまうような本がポツポツと入っている。本を手にとりめくって納得する。蔵票蔵印とビニールコーティングだ。
 店内に持ってきて「これ、500円なんですか」と念をおした後、少し間をおいてから、「やっぱり蔵印があると難しいですか?」と尋ねる方がいた。
「そうですねぇ、これも書棚に入る良い本なんですがね」
「イヤ、僕も大切な本はみんな蔵印しているんですよ。でも、そろそろ整理も考えているんですが―。蔵印は難しいですか―。」
「う〜ん、他の人の印がある本はやはり売りにくいです…」
「そうですか、そうですよね。」と言いつつ、カバンに買った本を入れ帰っていった。
 店番の脇の台の上には「未整理」の紙がついた本の山がある。毎日店主が手入れ作業をしているが、なかなか片付けきれない量だ。それ程冊数があり、気を使う良い本だ。紙物と言われるチラシや無料配布のパンフレット類まで数十年分大切にとってある。元の持主は随分マメな方だったのだろう。活字好きの本好きで、こういったものを「一生大切にしよう」と思ってこられたのだろう。汚れないようにビニールコーティングを施し、日付や購入場所を書き入れる欄もついた蔵印を作って押した。人に貸しても帰ってくるように複数の蔵印をつけ蔵票も貼った。その時自分の一生は長い長いはずのものだった。一人暮らしの部屋はいっぱいの書物で埋まり、気付くと一生の最終ラインが見えてきた。自分なき後の本のゆく末を案じて、本を活かしてくれる本屋を選んだ。
 店主が買入に呼ばれて行った先は古い木造アパートの二階の一室だったそうだ。重い本を持って上がり降りしたら壊れてしまうのではないかと思うような階段の先に本と主人は待っていた。
 ワゴン車に満載の本を持ち帰り、店内に積み上げる。一段落した後、本の山を見て「こんなに急に本がなくなったら、淋しくないかな」と店主が言う。「う〜ん」としばらく考えてみる。「淋しいかもしれない。でも、もしかしたら、場所があいたからまた本を買いに行ってるかもね」と言って、また考える。そしたら今度買った本はどうするだろう。もう蔵印はしないのだろうか。まっさらの本は、彼にとって何を意味するのだろう。

 5年後の自分も、ましてや10年後の自分もわからない。まだなったことのない年齢の自分は1年先さえもわからない。小1のとき小6の人はまるで大人だった。なってみたらたいして大人じゃないことにびっくりした。中学を卒業しても20歳になるときも、「これで大人だ」なんて自覚できたことは一度もなかった。30代は未知だった。40なんて中年だと思ってた。なってみたらそれまでとたいして変らなかった。「まだまだ勉強だ」と思っているうち、案外「一生」は、すぐたってしまうのかもしれない。

1月17日
 昨日うんと寒かったかと思うと、今日はやけにあたたかかったり、季節が行きつ戻りつしている。こうして揺れ動いてきたということは、少しずつ助走をつけて、春に向かう準備をしているのだなと感じる。そこで、冷たい北風のふく中、あたためてきた春のプランを実行するべく園芸屋さんへ行った。しかし今は道具を買うだけ。実際に土いじりをするには、まだまだ寒い。でも、買い揃えたものを眺めれば、必ず今年も春がやって来るのだと確信できる。小さなワクワクの種を心の底に抱えている。
 やわらかな、春の予告編のような陽射しの日を、虎視眈々と待ってます。

1月9日
 ほめる人になりたい。私はほめる人になりたいんだ、と思いついた。
 今よりもっと若い頃は、自分のことしか考えていなかったから、ほめられることで心はいっぱいだった。自分をほめたかったし、人にも認めて欲しかった。少しでも自分を磨くことが楽しかった。磨けば少しは輝く自信があったからだろうね。
 年を、とったのかもしれないな。自分の周囲とか義務が見えてきた。そして、自分の行く先も―。
 子どもの頃、居間にテレビがあった。父はよくテレビの中の人たちを次々けなしていた。テレビに文句を言う父がイヤだった。今思えばそれが父のストレス発散法だったのかもしれないが、それは周囲にいる人にストレスをまき散らした。そんなことがあって、父に似ているといわれるのが苦痛だった。結局、父のその姿が私の反面教師となったのかもしれない。自分がほめられたい、認められたい時代を経て、しばらくジレンマの時をすごし、今、少しふっきれてきた。「ああ すごいね」「よくがんばったね」と言うことが楽しくなってきた。実はまだ少し、悔しくて心から認めることができない分野もあるにはある。でも、「なりたい自分」は「ほめる人」と気付いたのだから、一歩前進といたしましょう。
 不平不満で、「ふ〜ん」と口をとんがらせることも多いけど、まわりをぐるっと見回して、「おぉ すてき」と思えることを探せば、とんがった口もまぁるく開こうってもんよ。
 失敗やドジはあいかわらず減らないが、「あぁ 私ってそんなところがかわいい」とたまには自分をほめる(なぐさめるの間違いか)ことも忘れない。

1月8日
 ああ うれしい。基本的に楽しいこの仕事をしていて何より苦しいのは、督促状書きだ。うちの自慢のお客様たちは皆さんきっちりご入金してくれるが、ごくごくたまに遅れる方がいらっしゃる。でも、明日来るかも、今日の午後入れるつもりかも、たった今郵便局を出たところかも…と思ってつい督促メール書きは一日延ばしにしてしまう。そのうちすっかりフルネームで覚えてしまったその名前を、毎日来る郵便局の入金通知の封筒の中に見つけた時、「待って良かった」とほっこりあったかい気持ちになる。今日は一日延ばしにして三日目のそのお名前を二つも見つけ、何だかうれしい日だ。
 郵便局の払込票は自筆なのも何だか良い。忙しい日々の中、着いた本のお金を払うために住所と名前を書いているお客様の姿を思うと、さぁ今日もがんばろうと思えてくる。
 コメントがあればニコニコ読んでます。
 なにやら軽い本がはびこっている今日この頃、なるべく読みでのある本をお手許に届けたいと決意も新たな新年であります。

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