ユーコさん勝手におしゃべり

8月25日
 なんなんなんだ、この暑さは。
八月も終盤というのに、連日の猛暑に熱帯夜である。台風が行ったら秋風が吹く、のかと思ったら、台風が置いていったのは熱風だった。
 小庭のカメの食欲は、真夏同様に旺盛で、こんなに栄養つけたら もう一回 卵産んじゃうんじゃないかと、カメの体を心配するほどだ。
 今朝も花に水をやっていると、足もとにある水槽から出たり入ったりして、しきりにエサの催促をする。通りかかったおじいさんが、カメを見て、
 「『死んで祀られるより、泥にまみれて生きていた方がいい』っていう中国のことわざを、ここでカメを見るたびに思い出すんだ。」
 というようなことを言った。店の横は細い路地だが、近くのスーパーの納品トラックの通り道になっていて、朝は大きなトラックが何台も通る。ちょうど続けて車が来たので、おじいさんの言ったことわざはよく聞き取れぬまま、立ち話は終った。
 店に入って調べてみると、『尾を泥中に曳く』 というものらしい。荘子が楚王に求められた仕官を断った時のことばで、
 「亀は殺されて亀卜(占い)に用いられ大切にされるより、泥の中に尾を引きずってでも生きているほうを望むだろう」
 といった意味で、貧しくても故郷で気楽に暮らすことを選んだという。
 庭でボーっとしているカメさんも、道ゆく人に何かしらの「考えるヒント」を供給することがあり、飼い主がそのおこぼれに与ることもある、ということだ。


8月19日
 永遠に続くかと思った夏が、あっけなく秋風に場を譲った。
 街角の植え込みや公園のBGMが、ミンミンゼミから虫の声やツクツクボウシにかわった。
 道路にせみが落ちているのを、よく見かけるようになった。
 先日、本の発送をしに自転車で郵便局に行った帰り道、店の100メートルくらい手前で、店の横にしゃがみ込んでいる女の人の姿が見えた。
 髪を後ろにキュッと結んで、生成りの白の上下服だった。訪問看護師さんだろうか。店横の小庭に手を伸ばして、しきりに何かしている。真剣そうだったので、いったん通り過ぎたが、自転車を収納しなければならないので、
 「こんにちは」 と声をかけながら、手許を見た。
 「あ、すいません」 と言う彼女の手には せみがいて、小庭のプランターの木につかまらせようとしていた。
 一瞬 枝にしがみついたせみは、手を離すと力なく花壇の土に落ちてしまう。
 「道路ではかわいそうですもんね」 と言うと、
 「ええ、けど落っこちちゃいます、ダメですね。」 と応える。
 「でも、アスファルトの地面より、そこの方がいいですよ。土ですから。」
 「…そうですね…」
 「…来年また 会えますよ。」
 立ち上がった彼女に、何か言わなくちゃと思って、そう言った。来年会える個体は このせみじゃないな、と気付いたけれど、そこの矛盾は抱えたまま、口から出たことばに、彼女も私も同意した。
 プランターに置かれたせみは、次の日も動かずに、2センチほどのミニチュアのうさぎとうり坊の横にじっとしていた。

8月11日
 台風が過ぎ去った9日木曜日に、カメが卵を7個産んだ。この夏3回産卵して合計28個の卵を排出した。メス1匹での所作なので、生産性はない。ただひたすら作っては出して、店横の夏の風物誌になっている。
 何年か前まで、産卵前は落ち着かず、庭から決死の脱出を試みたりしていたが、ここ数年は、近所に配偶者はいないと悟ったようで、脱出の気配もみせない。
 産卵前の苦しみ(甲羅内が卵でいっぱいでエサが食べられない)と、産卵後の爆食い(今朝は市販のエサとむき身の大アサリ10個をたいらげた)、そして道ゆく人からの
 「すごいねぇ こんなに産むんだ」
 の称賛は、ごはんと日向ぼっこばかりの日々のルーティンの中で、彼女にとって貴重な非日常なのかもしれない。

8月6日
 つばめがみんな飛び立った。
 たくさんのくちばしが巣から見えていた駅舎のつばめの子は、先週さいごの二羽になった。もう親と変わらぬ体格になり、巣からはみ出しながら、エサの来るのを待っていた。
 おとといには一羽になり、巣立ちを促すのか親鳥も頻々とは通ってこなくなった。今日、郵便局の帰りに見ると、巣はカラだった。とうとう飛んだらしい。
 数日後には 関東直撃の台風がやって来る予報になっているが、何とか知恵を働かせて 皆生き延びて欲しい。
 小庭のカメは、今朝も全力でふんばっていた。後ろ足で地面を掘るしぐさをして、カメの周りは彼女の体液で水溜りができている。もう何日もそうしているが、なかなか卵は出てこない。西向きの小庭にも陽がさす時間になると、ふんばるのはやめて、歩いて水桶に移動する。水に浸かってほんの少しエサを食べ、石の上で日向ぼっこをして、最近の定位置の道路際の柵前で日がな一日を過ごす。情況を知っている人が、
 「たいへんだねぇ、がんばってね」 としゃがんでカメに話しかけていく。
 だるそうに半眼になったカメは、聞いているようにも見えるし、聞いちゃいないようにも見える。
 自分のすることだけをして、できないことは何もしない。
 天気予報に一喜一憂して、将来の不安に気を揉む人間の対極にある、ちょっとうらやましい亀空間である。

8月1日
 南の窓を開けて、星を見ながら眠った。といっても、見えるのは火星だけなのだが。よく目を凝らせば見える他の星を圧倒して、火星は八方にオレンジ色の光を放っている。
 時おり そのそばをライトを点滅して飛行機が通る。空は不思議、遠近も大小も 混沌とわからない。
 望遠鏡で見てしまえば、火星は丸い惑星でしかない。自ら光を放ったりはせず、ただ太陽の光を反射しているだけだ。と、理屈ではわかっているが、目は、「光っている」と感じる。紺色の空に紅い星、飽きずにじっと見入ってしまう。
 猛暑でうだるこの夏に、天からの贈りものだ。
 星を見ながら眠りに落ちて一時間たち、一時過ぎにふと目が覚めると、西へ移動した火星を追うように、窓枠の中へ月が入ってきた。
 「輝くのは私だ。」 と言い張る如く 強い光を放つ半月だった。そして、時間とともに、窓枠の中は月だけになった。
 朝、目を覚ますと、今日も雲ひとつない青空で、いやになっちゃうくらいの晴天だった。

 外に出ると、小庭の柵の前で、カメが虚空を見上げている。おとといからエサを食べなくなって、今年三度目の産卵体制に入った。
 今夏はすでに21個も産卵しているので、「そんなにがんばらなくてもいいのに」 と思うが、彼女の意思とも飼い主の意思とも関係なく、自然が彼女の中に息づいているのだった。

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