ユーコさん勝手におしゃべり

8月26日
 何となく手にとって、そのまま惰性で読み続けたさして面白いとも思わなかった本が、あと2・30頁で終るというところになって、急に興味深くなっていくことがある。
 小説なら最終章の手前、エッセイなら2・3篇を残すばかりの時、急にスイッチが入って、そこまで真剣に読まなかったことが惜しくなる。そしてさいごまで行った後、最初に戻る。
 数十頁読むと、 「ああ、こういう風に読んでほしかったのか」 と安心して、本を閉じることができる。
 これが人生なら、「もう一度…」がないだけに、何と淋しいことだろう。

8月23日
 どうゆう吹きまわしだか、スゥっと涼風が入ってきて、今晩は秋の気配だ。家中の窓を開けて、夏の鈍重い空気と入れ替えをする。
 三日程前に、上野の芸大美術館に三遊亭圓朝コレクション「うらめしや〜、冥土のみやげ」展を観に行った。せっかく電車で出たのだからと、黒田清輝記念館と国際子ども図書館にも寄った。芸大美術館に着くと昼時で、学祭準備に余念のない学生さんたちに混じってランチを食べて、幽霊画を堪能した。その後、アメ横を通って御徒町まで買物に行く。アメ横の人波の中で様々な国の言語を浴びながら、目は品物と値段をチェックしてゆく。真夏の陽射しが暑い。
 御徒町で所用を済ませ、帰りに行きがけに決めた果物店へ寄る。その頃にはもう汗だくになっていた。果物屋さんの平台の上だけが秋をただよわせている。新物のつがるりんごと梨を一盛りずつ買った。
 そういえば、新聞に北海道ではそばの花が満開だと、白い美しい写真とともに載っていた。8月のなかばに栃木へ行った時は、まだそばはやっと芽が出たとこだった。北の方はもう秋なのかと思いつつ、毎朝つがるりんごと梨を食べて、数日で、季節が追いついてきた。
 夕べは虫の声もきいた。明日の朝は更に気温が下がるらしい。
 秋のはしりに、ホッとする思いと、往く季節を惜しむ気持ちが入り混じる8月の最終週である。

8月19日
 独立して家を出ていた家人が夏休みで戻ってきた。学生時代の友達と遊びに行くのに、どこかいいところはないかと言うので、北関東の渓谷沿いにある温泉と川遊びの場所を伝えた。
 店主が、道の駅でもらった周辺地図を渡して道順を教える。お盆休みに入り、途中の道路の混雑を避けるために夜のうちに出て、着いてから車で仮眠をとるという。24時間使える道の駅のトイレの場所を地図上でチェックして、田畑ばかりで夜は真っ暗だからと、小型の懐中電灯を二つ渡した。
 翌日、「イヤ、いいとこだったよ」と、ごきげんで帰ってくるなり布団に入り、すぐに眠った。次の日話を聞くと、河原で花火をしてから、夜中に真っ暗な道の駅に着いて、肝試しをしたそうだ。曇って星明りもない闇夜、道の駅からすぐ裏手にある小学校まで、出かけることにした。三人で懐中電灯は小型のヘッドライト二つだけ。
 「もう、怖かったのなんの。ライトなしの○○なんか、『離れたら 泣くぞ!』って、わけのわかんないこと、わめいてるし」
 普段は年商いくらなんて言ってるビジネスマンが、すっかり童心に返ってしまったらしい。
 朝になり、出がけに渡された地図に、滝を見つけて行ってみた。
 「すごくいいところだったよ。誰もいないし、三人ともパンツ一丁で泳いだ」
 という地点は、今まで20回以上通っている道沿いにあるのに、店主も私も一度も行ったことのないところだった。
 そうして夜から早朝のうちに、ひととおり体力の限り遊んで、その滝からほど近い公共浴場へ、開館時間前に着いた。近所のお年寄りと一緒に、一番風呂に入り、休憩所で眠って東京へ戻った。
 数日後、同じところへ私と店主もバイクで出かけた。行きなれた道を通り、いつもの道の駅に着く。昼間見ると、ただ明るい緑の田畑だ。青く広い空の下、道の駅の向こうに小学校の校門が見える。話に聞いた夜中の景色とまったく違った顔である。
 そして、滝。小さな看板が立ち、道路から人知れず滝に降りる階段がある。そうっと降りると、美しい渓谷の別天地がひろがった。もみじにかえでに桜、紅葉の頃にまた来たいところだ。
 接点はたった一枚の地図だったが、人によって目をつけるところや見方が違う。行きなれたと思っていたところにも、新たな発見があった。

8月12日
 夏の休暇で何日か店を留守にする前日、朝早く起きて園芸鋏と脚立を持って外へ出る。
 垂れてからまる植物が好きだから、店横の小庭は夏の間、枝が好き放題に伸びて、からまり枝垂れている。
 いつもは終った花の花柄摘みをするだけだが、今日は咲いているところもかまわず、バッサバサと刈り込む。こうしておけば、休暇から戻ったとき、再び新鮮な花芽を持っているはずだ。
 旅に行くのも帰ってくるのも楽しみになる、一石二鳥の真夏の汗だく作業である。

8月5日
 亀の食欲はフルスロットル。
 店の飼い亀は、6月の終わりに10個の卵を産んだ。産後は、落ちていた食欲も戻り、平穏に過ごしていた。が、7月なかばからまた、落ち着きなく脱走を試みようとしはじめた。
 10個の一気産みで、今年の産卵は終了かと思っていたが、明らかに妊婦(?)の様相となった。甲羅があるのでお腹は出ないが、後ろ足の根元が甲羅からはみ出す肉付きとなり、エサを受け付けなくなる。 そして、前回の産卵から1ヶ月たった7月末の朝、水槽に再び10個の白い卵があった。
 20歳のクサガメの全精力を傾けた産卵を終えた後、水槽を洗うために彼女を持ち上げた店主が、「軽っ!!」 と言った。片手で持ち上げられる大きさの甲羅の中に、うずらの卵大の卵10個がどうやって納まっていたのか不思議だが、それを全部出して、その朝から彼女は食欲の権化である。 市販のエサは食べず、「おいしいものを少しだけいただきます。」という態度から一変、「何でもおいしく いただきます!」 とエサを待っている。
 亀には猛暑は関係ないらしく、健康そのものである。
 人間のほうは、このうだるような気候からの脱出ばかりを夢みて、日程を調整している。亀産卵の直前二日間は、休みをとって、奥日光へ行った。連日の熱帯夜から逃れ、深夜2時に東京を出て、朝日とともにいろは坂を上る。奥日光湯元の朝の気温は17度だった。車の中で仮眠をとって、湯ノ湖畔に敷物を敷く。コンビニのおにぎりとカップ麺、コーヒーと本をおろし、キャンプ用のガスバーナーをセットすれば、あとは一日、ひたすら涼風を浴びるだけ。最高気温も23度ほどで、東京より10度以上低い。店主はマイ枕も持参していた。
 夕方、雨雲が来る前に下界に下り、1泊して、次の日も前日と同じように午前中を過ごす。雲行きを見て午後は鹿沼へ行き、粟野のつつじの湯で夕立ならぬゲリラ豪雨をやり過ごしてそばを食べ、夜遅く帰宅した。すっかりリフレッシュして、その余韻で2・3日は猛暑にも耐えられる。
 奥日光の効力も薄れ、またうだりはじめた8月4日、東京都水道局主催の「水源地ふれあいウォーク」に参加した。都の広報誌で知り、店主と二人分応募したのが、抽選で当たったのだ。
 朝3時半に起き、手分けして花に水をやり亀の世話をして、本局に本日発送の本を持って行き、朝食をとった。堀切菖蒲園駅5時41分の京成線に乗り、7時34分に青梅線河辺駅に到着する。東端から西端へ、朝から東京横断の電車旅をした。さらにバスで2時間半をかけ、県境を越えて、山梨県甲州市へ入り、柳沢峠へ到着した。詳細な解説付きの団体旅行で、いつもの気まま旅とは違うお芝居の中にいるようなおもしろさがあった。植物博士のような老婦人に寡黙な昆虫学者のような小学生、と、バス一台分の人々の様々な質問に全力で答えようとする10余名の水道局職員というメンバーだ。
 職員はそれぞれ得意とする分野があり、植物のこと、虫のこと、多様な動物のフンのことなど、お互いに確認しながら答えていた。
 簡単にコンビニ調達した昼食を持って行ったが、茨城の農場で野菜を作っているという御夫婦からとれたてトマトときゅうりをいただき、充実のランチタイムとなった。既に退職し週に1回自宅のある秋葉原から茨城へ農作業と収穫に通って、もう20年になるという。一期一会の甘いプチトマトをたくさんお腹に収めた。
 涼風を身心に受け、再び東京を横断して帰宅した。
 猛暑猛暑というけれど、あと10日もすれば、朝晩の涼しさに驚くようになるのだな、と、盛夏の中、往く夏を惜しむ気持ちにもなる8月の初めである。

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