ユーコさん勝手におしゃべり

6月28日
 渡りかけて 藻の花のぞく 流れかな   -凡兆-

 自称「湿原ハンター」の店主が、旅の提案をする。
 梅雨時、直前まで天気予報と首っ引きで、「関東は雨だけど、福島まで北上すれば、晴れてるぞ」 という。
 行き先は南会津の宮床湿原と決まった。
 6月24日の早朝、「大気の状態が不安定です」とラジオが告げる中、雨具も万端整えて、車で出発。午前中は晴れ間も見える中、北上し、少しずつ上昇する。景色が農村から森林になり、「空気がおいしい」とはっきり感じる。
 まずは福島へ入る手前、日光市の上三依水生植物園へ立ち寄る。よく手入れされた園内でつぼみをびっしりとつけたクリン草が季節が動くのを待っていた。入り口に海抜692mと表示してある。ここまで来る道すがらあぜ道や民家の塀際に群生しているムシトリナデシコが桃色からショッキングピンクへ、高度が上がるにつれ花色を濃くしていった。好きな植物は自宅のプランターにも植えているけれど、自然に厳しく育てられた花は断然美しい。
 日光市から北上し、栃木と福島の県境の山王トンネルを抜けると青空がひろがる。
 会津田島のそば屋で大もりそばをいただく。空気も水も甘く、わさびがおいしい。そばもわさびも残さずいただき、そば湯をおかわりした。
 車に戻ってカーナビをつけたが、宮床湿原の場所はあいまいだった。カーナビに地名はあれども道はないまま、その方向に向かって出発。道路標示に従って、会津高原南郷スキー場へ入る。細い道の両側のゲレンデにニッコウキスゲと背丈は低いが目をひくピンクのユリが咲いていた。「ひめさゆりの群生地です」と看板がある。
 本当にどこかに行き着くのかしらと不安になるような道だが、途中一台対向車があった。すれ違えないのでバックして道を譲りながら、
 「むこうからも来るってことは通じてるんだ」 と安心した。カーナビは空を飛んでいるような表示になっている。
 標高850mと書かれた宮床湿原の看板が出現し、車数台分の駐車スペースがある。そこから先の道路は工事中通行止とあった。
 リュックを背負って真っ白いニョロニュロのようなギンリュウソウの並ぶ森の道を上がる。パッと視界が開け、ワタスゲが満開の夢の如き景色があらわれた。湿原の中央を長い木道が貫いている。
 ハルゼミが合唱し、木道にも両側の草々にも金・橙・黒のタイの寺院のような絢爛な配色の毛虫がたくさん歩いている。小さいながら濃い朱色が鮮やかなハッチョウトンボ、蛍光水色で存在感のあるルリイロトンボ、食虫植物のモウセンゴケと、思わずしゃがんで眺めるものから、湿原の上に青々広々と広がる空まで360度を満喫する。ここへ来る途中に車とすれ違って以来、店主と私以外に人間の姿を見ていない。ケータイも圏外で、まさに別天地であった。
 湿原貸切のぜいたく散策を終え、駐車場までの道を下ると、もう一組、カメラを下げた男性たちがやってきた。あいさつをして、「ワタスゲが満開ですよ」と言葉を交わし、再びひめさゆりのゲレンデを通って、宿泊地那須高原へ向かった。途中降りだした雨に天気予報の精度をほめ、温泉につかって、ぐっすり眠った。
 翌日は、午前中だけ天気が持ちそうだったので、那須平成の森を散策する。途中晴れ間もあったが、一周した帰り道、空が暗くなってきたので、急いでセミナーハウスに戻った。建物につくなりザーと音をたてて雨が降り雷鳴がとどろいた。セミナーハウスで本を読みながら、小雨になるのを待って車に戻った。FMラジオで天気予報を聞いて、なるべく降っていない方向を通って帰宅した。その日は豪雨と落雷で被害が出ている。帰宅すると、プランターの花の花びらの多くが裂けていて、雨の鋭さがわかった。都内ではヒョウも大量に降ったと報道されていた。
 翌朝、三階の窓を開けてスズメの姿を見る。豪雨にもめげず、ヒナは順調に育っていた。鳴き交わす親鳥の可愛い声と、巣の中から呼応するヒナの声に安心した。

6月18日
 堀切菖蒲園へ散歩に行く。花の見ごろは過ぎて園内も落ち着いてきた。
 「たんぱぱ!」
 と可愛い声のするほうを見ると、2・3歳の幼い姉弟が手に一本ずつ綿毛のついたたんぽぽの茎を持ってお母さんに見せている。お姉ちゃんがふーっと吹くと、綿毛が飛んだ。弟はしばらくたんぽぽを見つめて、
 「…ママ、やって」
 と言う。遊ぶことにも技が必要なんだなぁ。
 この光景に幼いころのしゃぼん玉を思い出した。もの心ついたごく最初のころの記憶である。
 私は近所の小学生のお姉ちゃんのいる子のお家に行った。その家の台所でお姉ちゃんがコップにしゃぼん液を作ってくれて、いっしょにしゃぼん玉を作って遊んだ。力加減が難しくて私はなかなかうまくいかなかった。
 すると、お姉ちゃんがコップにストローをつっこんでぶくぶくぶくと、コップに中に一気にたくさんの泡を作った。私は黙って見ていたが、「こんなこともできるのか」 と感動した。しかもしゃぼん玉を作るより、簡単そうにやっている。
 さっそくまねしてみた。コップにストローを入れそっと唇をつける。そしたら、脳内がキーンとするような強烈な痛みに襲われた。吹かずに吸ってしまったのだ。
 気の弱い私は、結局「どうやってやるの?」 と聞くことができずに、その痛みにじっと耐え、お姉ちゃんのしゃぼん玉ぶくぶくを見ていた。
 その台所の色味や雰囲気は覚えているのに、その後吹くことを習得したのはいつのことだったかは、すっかり忘れた。

6月15日
 毎日目の前をたくさんの本が通ってゆく。
 本を読むときは、活字を縦に追ってゆくが、仕事中は、右から左へ目を通す。タイトルを見て、奥付を確認する。必要なら目次を眺める。
 何十冊と積みあがった本の山から一冊ずつ作業し、目に入ったものはたいてい忘れる。
 今日、『読書の心』という昭和22年の帝国大学新聞社発行の小冊子を手に取った。目次をパラパラと見ると、「寺田先生とコーヒー」と書いてある。そのページを開くと、目に入ってきた一文は、
 「Sukina Mono,Itigo Kohi Hana Bizin,…」 だった。
 機嫌のいい朝などには声を出して唱えてしまう私のお気に入りのおまじないことば(?)である。
 「好きなもの、苺、コーヒー、花、美人、懐手して宇宙見物」
これが書かれた同時代の人が、見てきたようにではなく見慣れた現物のことをこんな風に書いている。

 「是はローマ字ペン書きで其下に御納戸色のふちの西洋皿に真紅の苺が六つ七つ、ケントに水彩で描いてある。
 此の書と讃?はごたごたした理研の実験室の壁にかゝつて居るが今は先生の絶筆となった。
 『何だ、寺田君だな、悟った様な事を云つてる』
と此の書をO先生が彌次られたのも昨春の事であった。」 (辻二郎筆 帝国大学新聞社編集部編『読書の心-学園随想-』より)

 出合いは素敵だ。今日は予期せぬところでこんな本と出合えた。
 明日は何が起こるだろう。

6月4日
 ぱっと見で書名を見間違えることがある。
 装丁の雰囲気や思い込みである。
 さっき仕事中に、『おもちゃの料理教室』という題名を見て(見た気になって)、
 「何の本だろう。おもちゃの本、料理の本?」 と、わくわくしながら頁をめくったが、どちらでもない。
 も一度表紙をよく見ると、『おもちゃの理科研究』で、ものの仕組みの書いてあるまじめな子どもの研究書だった。
 ちょっとがっかりしたが、戦前に書かれたこの本には、私にがっかりされる根拠は何もないのだった。
 自分に、がっかり。

6月3日
 「ちっきょ、ちっきょ」 と聞こえる。
 朝、雀が高い声で鳴き交わす。店の前に電柱がある。店舗の三階の窓を開けると、同じ高さに変圧器があり、変圧器の支柱の中に雀が巣を作っている。
 以前カラスにやられて、数年は空き家だったが、今春は早々に入居している様子だった。立派なおうちではないので、風雨が強いと水浸しになるらしく、大雨の降った翌朝は、巣から出て、犬のようにブルブルと身を震わせて水を飛ばす姿も可愛らしかった。
 それが4月の終わりに、旅行で一泊店を留守にして帰って来ると、電柱の下に巣材の草が散らばっていた。カラスに襲撃されたらしく、ヒナの声も消えた。
 「カラスだって生きていかなくちゃならないから、仕方ないね」
 「カラスも子育てに一生懸命だものね…」 と店主と話したが、それから変圧器の下は空き家になった。
 しばらく静かだったが、二週間くらい前から、再び雀がやってきた。早朝、静かに三階の窓を開けると、若夫婦が小首をかしげながら出入りしている。最近はパイプの中から、高く細い声が聞こえる。ヒナもいるらしい。
 一羽の親鳥が巣の中にいる間、もう一羽は下の電線にとまって「ちっきょ、ちっきょ」と鳴いている。充分ヒナの世話をして一羽が出てくると、待機していた一羽が交替で中に入る。出てきた一羽はひとしきり鳴き交わした後またエサを求めて飛び立っていく。
 雀の家には「50 6600V」と表札がかかっている。
 雀の声は、「蟄居、蟄居」と言っているようで、若いのにご隠居さんみたいだなと、その声を聞くたびに、唇がほころぶ。

5月のユーコさん勝手におしゃべり
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