ユーコさん勝手におしゃべり

7 8月25日
 「誰かが 天地創造をしているのか」 と思うような長く続く大きな雷鳴だった。
 先週水曜日の晩、雨と雷の音を聞きながら入浴した。暗い窓に雨がぶつかるのを感じながら、「明日の朝、窓を開けたら、景色がまるでかわっていたりして--」と想像した。
 はたして翌朝5時ごろふと目が覚めて窓を開けると、雨上がりの涼風が顔に吹きつけた。まだ薄暗い空に、駅のホームの灯りがUFOにように浮かんでいる。(うちは細い道一本はさんで駅のホームの前にあるので、二階の窓を開けると同じ高さにホームがある。)
 確かに世界は変っていた。熱帯夜続きの膨張した空気から一夜にして湿気がとれ、秋の風を感じた。
 そのうち駅員さんの構内放送が聞こえてきた。「○○で踏切事故が発生したため、電車が遅れておりたいへんご迷惑をおかけしております。只今上り電車は○○駅を出発いたしました。…」と何度も繰り返される。まだ寝ぼけた頭の中で、それがUFOの搭乗案内のようにきこえた。そして窓を閉めてまた眠ってしまった。8時ごろ再び起きると、湿度は上がっていて蒸し暑いいつもの夏に戻っていた。電車は相変わらず遅れていて、構内放送が案内を続けていた。
 そのまま、週の後半は安定しない天気が続いた。
 そして今朝、秋のはじまりを知らせるような雨が降った。シトシトと、涼しく、おだやかに降る雨を、久しぶりに見た。こうして暑さがぶり返したり、涼しくなったりしながら、一雨ごとに秋になってゆく。
 ここのところ、気候のギアの変速がうまくいかないようで、なだらかでなく、ガクンガクンと天候がかわる。雨が1ヵ所にものすごく降ったり、他のところにはびた一文降らなかったり。8月の終りにやってきた例年通りの季節の歩みが、いつも以上にありがたく、安心を感じた。
 9月になったら秋の花壇の計画をたてよう。

8月15日
 休日にどこかへ行こうかといっても、日本中こう暑くては選択肢は限られる。高地へ、だ。
 先週に続いて、いろは坂をのぼり奥日光へ直行。
 先週行ったときは戦場ヶ原の道沿いをピンクに染めてホザキシモツケが満開だった。今回はもう盛りを過ぎている。濃い桃色の一輪一輪はきれいだが、大群落は見られない。
 何年か前、紅葉の時、ビジターセンターで写真展をやっていたカメラマンが、パネル写真を示し、
 「今年はもうおわり。ベストの紅葉はこの日だった。」
 と言ったとき、その日の紅葉の美しさに感動している人の心をそぐような冷たい言いようだと思った。なるほど毎日同じところを観察し待ち続ける人の目なら、そう告げたくなるだろう。
 でもやはり、よく見れば、けなげに咲いて茶色くなった花穂の群れの中の遅咲きの一輪もまた美しい。何でも肯定方向で見たほうが、素人には気が楽だ。
 都市部の酷暑から気温で10度ほど低い。何より湿気のない風がご馳走だ。山と山と山の間を風が通っていくのが見える。不動の山の不動に見える木の葉が、よく焦点を合わせてみるとサワサワと手招きするように揺れている。サワサワが連動して、あちらからこちらへ、こちら側からそちらの方へ、なめる様に風の通り道がみえる。
 お盆の渋滞を避けるために、早朝店主とバイクの二人乗りで行き、ふもとの日光で泊まり、翌朝また敷物と本を積んでいろは坂をのぼった。帰りも高速道路は極力使わず、小来川、大芦川と農村の川沿いの道をゆく。子どもが水あそびをしている浅瀬から、青少年が橋からダイブする淵まで、「ザ・夏休み」の光景を満喫し、鹿沼のおいしいそばをいただいて帰宅した。
 店に帰ってパソコンをひらけば、本とお客様が待っている。
 また、本の海の中へ入ってゆこう。

8月11日
 残暑お見舞い申し上げます。
 「残暑!?」 と、クエスチョンとエクスクラメーションがつく盛夏以上の暑さです。
 東京を抜け高地へ逃げます。東北自動車道沿いの稲はぐんと背が伸びました。「日照りに不作無し」というので今年もおいしいお米が食べられそうです。
 ラジオが「東京は36度」というなか、宇都宮から日光宇都宮道路に入り、清滝で高速を下りて、いろは坂をのぼる。
 涼風が別天地であることを告げる。中宮祠で朝食用のパンを買って湯の湖畔へ向かった。気温は快適21度。湖畔の草原で大きなシートをひろげ、コーヒーセットと本をのせれば、簡易別荘の出来上がり。あとは一日、適当に散歩したり寝ころんだり自由に過ごすだけ…、と思ったら、今回は違った。
 朝立ち寄ったビジターセンターに、日光山温泉寺の「採燈大護摩供」のチラシがあった。そしてそれが8月8日、まさに暑さを逃れて山に上ったその日だった。湖畔の広場には、着々と結界が築かれ、護摩壇がつくられた。毎年何度となくこの地へ来ているが、祭りにあたったのは初めてだった。いただいたチラシには、「『法剣』『法斧』『法弓』等の諸作法を拝することができます。」とある。
 のんびり過ごしながらも、ワクワクがのぼってくる。定刻の2時半が近くなり、温泉寺の方向からほら貝の音がきこえてきた。山伏姿の行者の列が、ほらの音とともに湖畔へやってくる。剣で結界の入り口を切り入場、法弓で放たれた5本の矢のゆくえをめぐって参拝客がわきたった。葦原に入ってしまった1本目と湖に落ちた2本目を除く3本は歓声の中で拾い上げられた。
 1時間後、すべての奉修が終り、行者や僧たちが温泉寺に戻っていく。いっしょに見ていた店主の姿が見えないなと思ったら、葦原の中から、羽が青く塗られた矢をもって、店主がでてきた。
 「見つけた」
 「あの葦原に入って?」
 「そ、だいたいこのへんだな、と思ったら、あった」
 よいおみやげができました。
 先月の会津田島祇園祭りといい今回といい、今年は偶然の出会いに恵まれた。
 二度あることは三度ある、の例えもあるし、まだ何かいいことあるかもと思わせる猛暑の夏である。

8月3日
 朝、小学校低学年くらいの女の子たちが自転車で店の前を通った。一人が先頭の子に
 「こわいのはいい。大丈夫。」 と言い、先頭の子が
 「私も、こわいのは平気、いい。 感動ものはキライ。」 と応えた。
 夏休み、図書館か、どこかの映画会にでも行くのだろうか。自転車をこいだまま大きな声で話しながら通り過ぎた。
 「感動ものはイヤ」という意見に他の子も同感の声をあげていた。
 感動は「させるもの」ではなく「するもの」だから、大人のお膳立て通りには子どもは動かない。おしつけがましい感じがイヤなんだろうな、と自分も子ども時代を思い出した。
 試写会や読者アンケートでは聞けない意見だ。大人の耳目のないところでの立ち聞きで、偶然子どもの本音にふれておもしろかった。

8月2日
 茫漠とした本の中で日々暮している。店主が一冊ずつ本に目を通し、パラフィンをかけて値をつける。店に出すものもインターネットに出すものも扱いは同じだ。
 ネットに出すものは、その時々の分野ごとに、私が一冊ずつ中をパラパラと見て、必要と思われる事項を書名とともに入力する。
 仕事中は一冊をじっくり読むヒマはないが、ある一定の分野の本を集中的に拾い読みする。何となく人名とかキーワードがわかる程度の生半可な専門家状態になるが、ひと段落ついて、また次の分野に手をつければ興味も思考もそちらにうつる。
 広くて浅い知識のジャブジャブ池の中に浸かっているような日常である。
 中途半端になった興味の先を癒すべく、行きたいところや見たいものをリストアップして休日の一日をそれに費やした。
 朝食後、電車で錦糸町へ行き、映画『風立ちぬ』を朝一番の回で見て、ランチをとる。少し買い物をして東京駅に出て、三菱一号館美術館で浮世絵展(北斎・広重の登場--ツーリズムの発展)を鑑賞。有楽町駅から電車に乗り上野で降りて、4時近くに東京国立博物館に飛び込む。チケットを切るとき、「五時で閉館です」と念を押されて平成館の「和様の書」展へ。
 一時間あれば余裕で見られると思ったが、予想以上に見ごたえがあり、閉館近くまで滞在した。
 上野から御徒町までアメ横通りを歩き、買い物と食事を済ませて、帰宅。
 頭の中はいろいろな感想のかけらでいっぱいだが、足もけっこう疲れていたので、その日はお風呂に入って、ボーっとしたまま寝た。
 眠りにつくのは早かったが、夢を見ては目が覚めた。そして同じ夢を一晩中何回も見る。夢は特に展開があるわけではなく、同じ場面の繰り返しだったので、翌朝起きた時には、夢の舞台であった船の形のアパートの絵を描ける、と思うくらいだった。私は夢の中で、大型の船の形をした下宿屋さんの大家で、そこの紹介を何度もしていた。船首にあたる方の部屋は、星を見る人向けで、狭いが天窓がある。甲板状の渡り廊下があり、船尾側はファミリー向けに広い間取りになっている。つくりは基本的に三菱一号館美術館の内部に似ていて、階段などの意匠は国立博物館本館ぽかった。
 ジャン・コクトーの文庫本を持って出かけ、電車の中で解説部分を読んでいたので、目が覚めたとき「描ける」と頭の中で思った絵は、コクトーのイラストに似ていた。実際紙に書いてみたら圧倒的にしょぼかったが、頭の中では描けていた。
 寝ている間に、映画と浮世絵と美術館とコクトーがまぜ合わさったらしい。
 子どもなら知恵熱を出すところだが、幼児より過去の記憶の引き出しが多い分、発熱せずに脳内処理されたのだなと、朝のコーヒーを淹れながら思った。

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