ユーコさん勝手におしゃべり

2月28日
 寒かった2月を耐えたごほうびのように、2月のさいごの日は風もなくよく晴れた。
 朝、自分用の小さなおひな様を出す。2月は日にちが短いことは子どもの頃から知っているはずなのに、いつも2・3日前になって慌てる。2・3日前から慌てているはずなのに、いつもお内裏様を出すのはギリギリになる。
 それでも小さなハンカチの上に小さな二人を並べ、いただきものの和菓子を添えれば気持ちは晴れる。
 朝のうちに、店から車で15分くらい行った大谷田公園の梅園で梅を観て、約束どおりやってきた春に安堵した。

2月24日
 2月19日に朝一番の回で映画「ダイ・ハード」の新作を見に行った。新聞の映画評でめちゃくちゃに酷評されていたのでかえって興味がわく。
 「(初期のシリーズで主人公は、)知恵と機転をフル回転させ一人で武装集団とわたりあった。連続勝利で自信を持ったのだろうか、ジョンは知恵や機転を使わなくなり猪突猛進する男になる。」と。(2/15朝日新聞夕刊より)
 この評で筆者は「ダイ・ハード」を「不死身」と訳していた。今まで「ダイ・ハード」を見るたびに「なかなか死なない」と自己訳していたので、「不死身、ときたか。それならへっちゃらだわな」と、妙に感心した。
 見終わって、いっしょに行った店主はご立腹だった。私はさいしょから二歩も三歩もひいて、ドカンドッカンを見るつもりでいたので、面白かった。
 映画館を出ると、小雪がちらちら舞っていた。
 映画を見た翌々日、外出先で携帯電話がなった。画面は母からと表示されていたが、電話に出ると知らない女性の声だった。病院名を告げられ、「娘さんですか」と問われる。病院の事務の方で、母が骨折して救急車で運ばれた旨を告げられた。外出先からそのまま病院へ向かう。
 母は元気なシニアで、唄ったりおどったり、いろんなところに顔を出していた。最近はグランドゴルフにはまって、近く行われる大会に向けて、老人会仲間と練習に精を出していた。その練習中、自分の方にとんできたたまを避けようとジャンプしてバランスを崩したらしい。大腿骨骨折だった。
 病院に行くと、足を固定され痛々しく寝ていた。
 いつものように、朝、明るく家を出て歩いて練習場へ行き、歩いて帰るつもりだったので、気軽な格好で、財布も持っていなかった。痛みはあるが、頭ははっきりしているので、必要なものをあれこれ指示された。
 思えば彼女は若いころから、大病をしては何度も復活をとげてきた。50代で癌を克服してから手術も5回経験した。
 それにしても今回は痛恨だろうと心配しながら、今日必要なものを携えて再び見舞いに行った。
 私が病室に入るなり母が、「今日、民謡コンサートがあったの」と言う。
 「ロビーに出ることもできないのに? どこで?」と聞くと、「ここで」と笑顔でこたえた。
 一人部屋に入院している90歳代のおばあちゃんが、自分の部屋は日当たりが悪くて、日当たりと眺望のいい角の大部屋の方が好きだと言うので、今朝車椅子で母の部屋へ遊びに来たそうな。するとその人は、母がさいしょに習った民謡教室の先生だった。耳も遠くなった彼女は母のことは覚えていなかったが、民謡を唄った。耳は悪くなったが、声に衰えはなく気持ちよく唄う先生に、母はベッドに寝たままながら、合いの手を入れたという。
 母の斜め前のベッドの人が、先生と同郷の秋田出身だとか、いろいろわかり、私が行った時、部屋中が和気あいあいの雰囲気になっていた。
 その後先生は、も一度部屋にやってきて、「舞台生活50年、いろんなところで唄ったけど、今日が一番たのしく唄えたわ」と言っていた。遠かったはずの耳も、その同郷の奥さんとは会話が成立している。
 唄が結んだ前向き力に驚く。
 骨は折れても、心は折れない。  「ダイ・ハード」はなかなかいいことばだな、と思い直した。

2月14日
 さいしょにやってくる雑草はクローバーである。
 店舗の2階から下げているプランターにクローバーが芽を出す。小さな葉だが、放っておくとこちらの植えたものは押しのけてどんどん成長するので、抜くことにしている。いつも少々良心の呵責を感じる。
 四つ葉ばかりが注目されるが、ふつうの三つ葉も、葉のひとつひとつがハート型で可愛らしい。
 そういえば今日はバレンタインだったなと思いながら抜き、しばらく眺めた。

2月13日
 立春から10日が過ぎたが、春一番はまだ来ず、今日も冷たい北風が吹いた。冬終盤、梅はぼちぼち咲き初めたものの見頃というにはまだ遠く、昨日は水仙を愛でに千葉・房総へ出かけた。
 連休中に注文を受けた書籍たちを朝一番に郵便局から発送し、車に乗って京葉道路から館山道へ向かう。建物の間を走っていたのが、だんだん視界がひらけ、田畑が増え林間となる。周囲の木々の緑に赤茶色が混じる。杉の木立ちがたっぷりの花粉をたたえている色だ。満を持して、もうすぐ飛び立つつもりだろう。春は好きだが、これだけは困る。
 高速道路を降り、保田の漁港で朝獲れ寿司をいただく。いつになく混んでいて、最近テレビの取材があったことを知る。店の混みあう昼時前には腹ごしらえも終わり、水仙郷へ向かう。水仙まつりの期間は過ぎたが、先月の大雪と寒波で開花が遅れ、今ちょうど満開だった。
 細くくねる道の両脇に、天の川のように水仙が連なっている。花も可憐だが魅力はその香りだ。水仙の香りは切花にして室内に置くよりも断然屋外が似合うと思う。身にまとわるようにふと風に乗って香ってくる。佐久間ダム湖畔では梅も開花して、香りを競っている。目をつぶって鼻腔を開くと、頭の中によろこびがひろがった。
 近くの川沿いの河津桜はまだつぼみ、今年の春はゆっくりやってくるらしい。
 日差しは穏やかでよい日だったが、夕刻から天気が崩れる予報だったので、散策は早めにひき上げて帰宅した。予報通り夜半にみぞれの降る音がして、今朝はうっすら雪が積もっていた。陽光を浴びて雪はすぐ溶けたが、今日は冷たい強風が吹いた。
 梅、桃、杏、桜、八重桜と、あふれるように私の時間をのみこむ、春はもうすこし先のようだ。

2月3日
 2月の声をきき、日が長くなったと実感する。今まで外の均一台に灯火していた4時半を過ぎてもまだ外が明るい。
 風は冷たくても陽射しは強くなった。外出したとき、日なたの駐車場に車をとめると、用をすませている間に車内があたたまっている。店主が「温室いちごの気持ちがわかる」といい、私も同意する。
 先日、みつばを食べたあとに残った根を、プラスチック容器に入れて水をはり、台所の窓辺に置いた。
 寒いからダメかな、と思ったが、数日を経ていくつか芽が出て伸びてきた。先月雪の日に折れて地面に落ちていたバコバの枝も、保護されて白い花をつけ、同じ窓辺に並んでいる。こちらは冬でも元気な折鶴蘭と同居のコップである。
 街路のロウ梅も黄色い花をみせている。季節が少しずつ動き始めた。
 この間、通りを歩いていてランチの看板が目に入った。「ミニラな丼セット」とある。
「ミニラな丼」って? 怪獣映画と丼物の関係を不思議に思いながら2・3歩進み、も一度振り返ると何のことはない、「ミニ うな丼セット」だった。
 春の気配に浮かれる心も手伝って、うつむいて一人クックと笑いながら郵便局に向かった。

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