ユーコさん勝手におしゃべり

8月29日
 先日、蓼科高原へ出かけた。今夏最後の避暑旅になる。白樺湖を一望できる駐車場で車を降り、散策した。萩の花が咲いている。風の吹き渡る高原の萩は、背丈が15センチくらいからせいぜい私のひざ上くらいしかない。それでも各枝の分かれ目にびっしり濃いピンクの花をつけている。子孫を残すための必死の生産活動だ。
 東京の、いつも見る萩のことを思った。すらひょろりと人の背丈を越し、トンネル仕立てにされるべく組まれたところにしだれかかり、はらりと花をトンネルの中に垂らす。私の知っているあの萩のトンネルの萩と、同じ葉をもつ高原の萩は、どちらも美しい別種の生きものだ。
 高原には見たこともないきらびやかな色を放つ蝶が幾種も無造作に地面にとまっていた。湿度のないサラリとした空気を満喫して、紅葉の気配が少しずつはじまった高原をあとにした。
 帰宅後、店の横の小庭の水撒きをしていたら、夏の花の中に、秋バラのつぼみの最初のひとつをみつけた。
 しじみ蝶がとまっているプランターの足元には、青虫の黒い小さなフンが落ちている。蒸し暑い夏の終わり、ここにも必死の生産活動があった。
 朝一回プランターの花に水をやる。短い時間だけれど、その積み重ねで、気付くと今年も腕にうっすら半袖のあとがついていた。

    二の腕に 今さらながらの 日やけ止め

8月23日
 昨晩の涼風にすっかり誘われて、今朝ビオラの種まきをした。夏の花が終わり空いたプランターに種まき用のサラサラの土を入れ小さな種を置く。買った種の袋には発芽率75%と書いてある。来春の希望だ。
 そして、種をまくかたわらのハンギングプランターには今、小ぶりのビオラが咲いている。
 数日前見つけて驚いた。今春のビオラの種がこぼれて、その後の植え替えにも鉢の移動にもめげずに成長し、不順な気候も手伝って今咲いたらしい。全く別種の枝垂れ系植物が生い茂った鉢の中で何とか外に出て日を浴びようと曲がりくねり、根の出所がどこだかもわからない。最初茎も一本だけなので一輪だけ咲くのかと思っていたが、今朝となりに次のつぼみを発見した。
 小さな面積の中で草花がひしめき合っている。ぼうぼうになったとも見え、そろそろ刈り込まなければならない時期だけれども、夏の混沌の庭には、こんな楽しみもある。
 もう少し草木自身の冒険する枝先を楽しもう。

8月18日
 雨がちの夏の前半に、洪水、地震が続いた。その後は晴天が続いている。もう少し夏の陽にがんばってもらいたいところだが、朝晩の涼風が真夏の終りを告げている。今年は店前の土手の朝顔の数も少なかった。
 「秋風を感じるころがまきどきです。」
と書いてあるビオラの種の袋を目に見えるところに出した。数日前に購入したが、思ったより出番が早そうだ。
 二日続けて同じサフィニアの花の中に同じバッタを見た。細面の顔を天に向ける黄緑。夏がゆくのを全身で見ているようだった。
 今夏の終わりは選挙がある。今朝窓の外からは、「歩いて、歩いております。○○です。」と連呼が聞こえた。店主が「普段ならこのへんを歩いたりはせんからなってことか」と吐き捨てるように言った。
 午後郵便局にむかっていると、「本人が、自転車で、自転車で、ご挨拶にまわっています。」とスピーカー音が近づいてきて、駅前の道を満面の笑みで手を振りながら、自転車に乗っている「本人」のたすきの人が通り過ぎた。なるほど、歩くことも自転車も、彼らにとって非日常だと思った。
 駅前の郵便局で発送をすませると、さっき自転車隊の通り過ぎたところに選挙カーが陣取り、また別のご本人が演説していた。すでに声が枯れていて何を言っているのかよくわからなかったが、ともあれ選挙戦ははじまった。

8月8日
 天候不順の夏である。
 今日は曇天でも、「あさってから快晴が続くんだって」と天気予報の受け売りをしていたが、気付くともう一週間も、そう言い続けている。毎日一日ずつ晴天がずれて、「永遠のあさって」だ。真夏というのに朝晩は秋のような風が涼しく吹いている。
 2・3日前から店の前の京成電車の土手の朝顔が咲き始めた。今年の夏しか知らずに終える一年草のためにも、夏の日差しにもうひとがんばりしてほしい。

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